バロック音楽への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:01 UTC 版)
「ルネサンス音楽」の記事における「バロック音楽への移行」の解説
マドリガーレの発達やトレント公会議のポリフォニーの禁止によって、イタリアを中心として、フランドルスタイルのポリフォニーを捨てて、歌詞や物語を劇的に表出することや、ディミニューションと呼ばれる装飾で音楽を華やかに彩る考え方が発展していった(マニエリズム、モンテヴェルディの「第2の作法」)。この動きの中で重要なもう一つの要素がモノディー様式の出現である。これは、古代ギリシアの劇音楽の復元を目的として文字通りルネサンス的な活動をしたフィレンツェのカメラータで生じたものであり、キタローネなどの伴奏による独唱あるいは重唱のスタイルを取り、マドリガーレと同様リフレインを持たない形式を持っており、レチタティーボの原型となった。カメラータのヤコポ・ペーリらは1597年に音楽劇「ダフネ」を上演したがこれは、世界で最初のオペラ上演とされる。この、マドリガーレやモノディー形式の探求の中から通奏低音の考え方が発達してバロック音楽へと移行していくこととなる。
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