バレエ作品としての開花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 17:50 UTC 版)
「バレエの情景」の記事における「バレエ作品としての開花」の解説
出足は成功とはいえなかった『バレエの情景』をバレエ作品として完成させたのは英国ロイヤル・バレエ団のフレデリック・アシュトンである。 アシュトンは以前からストラヴィンスキーのバレエ音楽にひそかな憧憬を抱いており、1946年から1947年頃ラジオでこの曲を聴いてから振付を思い立ったという。当初は曲が短すぎると判断し、米国にいたストラヴィンスキーに改作を依頼したが、これを断られたため、様々な工夫をこらすことになる。 まず無機質な旋律しかない中で、どのようにして観客を惹きつけるかを考えなければならなかった。しかし曲が同時にロマンティック・バレエの特徴を備えていることに気がついたアシュトンは、『眠れる森の美女』薔薇のアダージョと同様の動きを第5曲目パ・ド・ドゥ・アダージョに採用する。またアシュトンにしては異例なほど曲の拍子を読みこんで、シンコペーションを重視することになった。ダンサーの感情が表出する箇所はごくわずかしかないものの、その分コール・ド・バレエを3層に分けて展開したり、幾何学的に散開させるなどして魅力を持たせている。 アシュトン版はM・ソムズとマーゴ・フォンテインを主役として1948年2月11日にロンドンで初演された。これも初めは批評家から厳しい目で見られたが、回を重ねるごとに評価が高まり、現在ではロイヤル・バレエ団が誇るレパートリーの一つになっている。
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