バラク (ジョチ家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 06:44 UTC 版)
バラク(Baraq/Burak/Borak、? - 1428年頃[1][2])は、ジョチ・ウルスの君主(ハン、在位:1419年 - 1482年頃[3])。1370年代のジョチ・ウルスのハンであるオロスの孫にあたる。
バラクの父であるクユルチュク(クイルチャク/コイルチャク)はジョチ・ウルスのハンの地位を窺ったが権力の奪取に失敗し、父の跡を継いだバラクもハン位を求めた[4]。1419年5月にバラクはティムール朝統治下のサマルカンドを訪れてサマルカンドの支配者であるウルグ・ベクに援助を求め[5]、ウルグ・ベクから王と同様の厚遇を受けた[6]。
キプチャク草原に帰還したバラクは、トカ・テムル家のフダーイダード、ウルグ・ムハンマドらハン位を巡る競争者に勝利を収める。1422年9月にバラクはヴォルガ川流域でフダーイダードに決定的な勝利を収め[7]、1423年にはヴォルガ川を越え、モスクワ南方のオドエフに侵入した[5]。1424年にウルグ・ムハンマドを破り、1424年末から1425年初頭にかけての時期にバラクはウルグ・ベクの元に使者を派遣し、ハン位を宣言した[7]。バラクの使者は白隼と駿馬を携え、ウルグ・ベクは返礼として高官、職人、献酌人、楽人を付けて使者を送り返した。
後にバラクはウルグ・ムハンマドによって首都サライを奪われ、1426年頃にウルグ・ムハンマドはハンへの復位を宣言する[7]。1427年にはバラクが東のキプチャク草原、トカ・テムル家のデヴレト・ベルディがクリミア半島、ウルグ・ムハンマドがサライ周辺を支配する、ジョチ・ウルス内の構図が成立していた[8]。
西方での勢力拡大に失敗したバラクは東方への進出を試み、同盟者であるマンギト部の指導者マンスールを殺害する[2]。1426年/27年に「祖父のオロスがこの地に住み、建物を作り上げた」ことを根拠として、かつてオロスが支配していたスグナクの領有権を主張し、ウルグ・ベクと対立する[9]。満足のいく返答を得られなかったバラクはスグナクとその近辺を略奪し、ティムール朝の総督アルスラン・ホージャ・タルハンはウルグ・ベクに援助を求める。バラクはスグナク近郊の丘陵での戦闘でウルグ・ベクを破り[1]、マー・ワラー・アンナフルの一部とテュルキスタンを略奪してキプチャク草原に帰還した[2]。草原に戻って間もなく、バラクはマンギトと同盟したクチュク・ムハンマド・ハンとの戦闘で落命したと考えられている[10]。
子
- ミール・サイード
- ミール・カシム
- ジャニベク(アブー・サイード)
脚注
- ^ a b 長峰「「カザク・ハン国」形成史の再考『東洋学報』90巻4号、08頁
- ^ a b c クシャルトゥルヌ、スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』、76頁
- ^ 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房, 2005年2月)、付録76頁
- ^ 長峰「「カザク・ハン国」形成史の再考『東洋学報』90巻4号、05-06頁
- ^ a b 長峰「「カザク・ハン国」形成史の再考『東洋学報』90巻4号、06頁
- ^ クシャルトゥルヌ、スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』、74頁
- ^ a b c クシャルトゥルヌ、スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』、75頁
- ^ 長峰「「カザク・ハン国」形成史の再考『東洋学報』90巻4号、07頁
- ^ 長峰「「カザク・ハン国」形成史の再考『東洋学報』90巻4号、08頁
- ^ 長峰「「カザク・ハン国」形成史の再考『東洋学報』90巻4号、09頁
- ^ クシャルトゥルヌ、スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』、77頁
参考文献
- 長峰博之「「カザク・ハン国」形成史の再考『東洋学報』90巻4号収録(東洋文庫, 2009年3月)
- S.G.クシャルトゥルヌ、T.I.スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』収録(加藤九祚訳, 東海大学出版会 2003年)
「バラク (ジョチ家)」の例文・使い方・用例・文例
- その銀行強盗はバラクラバを着用した。
- バラクターという半導体電子素子
- 11月4日,民主党候補のバラク・オバマ氏(47)が第44代米国大統領に選ばれた。
- バラク・オバマ氏(47)が1月20日,ワシントン市にある米国連邦議会議事堂で就任の宣誓を行い,第44代米国大統領に就任した。
- 1月20日のワシントン市での就任式で,バラク・オバマ大統領は,自身が話すのを見に来た約200万人の前に立ちました。
- バラク・オバマ大統領はこの式典で演説を行った。
- バラク・オバマ米国大統領と彼の家族は先日,ホワイトハウスに新しい犬を迎えた。
- 米国のバラク・オバマ大統領が試合に参加し,始球式で投げたのだ。
- 高官はそれらをバラク・オバマ大統領に渡すと約束した。
- ノルウェー・ノーベル賞委員会は今年のノーベル平和賞がバラク・オバマ米国大統領に贈られると発表した。
- 11月13日と14日にバラク・オバマ米国大統領が,日本,シンガポール,中国,韓国への8日間の歴訪の最初に日本を訪れた。
- 討論会後の記者会見で,ボールデン長官はスペースシャトルの後継となる新しい宇宙船を開発すべきだとバラク・オバマ米国大統領を説得するつもりだと話した。
- バラク・オバマ米国大統領はノーベル平和賞のメダルとともに描かれている。
- 米国のバラク・オバマ大統領が11月14日の午後,横浜市でのアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の後で,鎌倉の大仏を訪れた。
- エジプトのムバラク大統領が辞任
- 2月11日,エジプトのホスニ・ムバラク大統領が30年の独裁政治を経て辞任した。
- 2月10日,ムバラク大統領(82)はオマル・スレイマン副大統領に権限を移譲するが辞任はしないと話した。
- 翌日,100万人を超える人々がムバラク大統領の即時辞任を求めて全国各地でデモを行った。
- ムバラク大統領の辞任が発表された後,同国は祝賀ムードに包まれた。
- 米国のバラク・オバマ大統領は5月1日,国際テロ組織アルカイダの指導者,ウサマ・ビンラディン容疑者が米国の特殊部隊によってパキスタンで殺害されたと発表した。
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