ナク王家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 03:39 UTC 版)
『元史』にはナクの子孫について記述がないが、『集史』にはチャバト(Čabat,چباتChabāt)という息子がいたと記されている。チャバトはカイドゥ(オゴデイ家)・バラク(チャガタイ家)・ベルケ(ジョチ家)の三者による「タラス会談」を経てバラクがフラグ・ウルスの領土を奪うためにアム河を渡った際、一千騎を率いてバラク軍に参加していた。しかし行軍中にチャバトはバラクと諍いを起こし、途中で軍を離れて引き返すこととなった。ブハラにまで至ったところでバラクの息子のベク・テムルがチャバトを始末せんと追いつき、チャバトは僅か9騎とともにカイドゥの勢力圏にまで逃れた。バラクはフラグ・ウルス当主アバカとの戦い(カラ・スゥ平原の戦い)で完敗し間もなく亡くなったものの、チャバトもまたそれまでの心労がたたってすぐに亡くなった。
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