バデーニの改正言語令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/02 08:49 UTC 版)
「バデーニ言語令」の記事における「バデーニの改正言語令」の解説
ターフェ政権の退陣(1893年)後、1895年に首相に就任したバデーニ(在任:〜1897年)は、最初の普通選挙による帝国議会選挙(1897年)で第1党となったチェコ青年党の協力を得るため、彼らの主張を受け入れ、先述のターフェ言語令を修正した新しい言語令を同年4月15日に発令した。新しい言語令はベーメンに限ってチェコ語への内務語への進出を認め、具体的には司法・内務両省に加え財務・商務・農務の各省に対し、案件処理のためにベーメン内の出先機関内で文書で連絡する際は、当事者の言語(ドイツ語かチェコ語)を使用することを義務づけるものであった。結果としてベーメンの関係官庁の職員は両言語に通じることを強いられることとなり、言語令と同時に官吏の言語資格に関する省令(1901年6月以降、当該官庁職員に両言語の能力証明を求める)も発令された。このことは、官吏志望者にチェコ語の習得を義務づけることでチェコ系の住民の公務員への就職機会を増やす一方で、ドイツ系住民の就職機会を狭めることを意味した。
※この「バデーニの改正言語令」の解説は、「バデーニ言語令」の解説の一部です。
「バデーニの改正言語令」を含む「バデーニ言語令」の記事については、「バデーニ言語令」の概要を参照ください。
- バデーニの改正言語令のページへのリンク