バトゥの嗣子たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:19 UTC 版)
バトゥには4人の息子たちがいたことが知られている。サルタク、トクカン、エブゲン、ウラクチである。長男のサルタクはバトゥが死去したときモンケの宮廷にいたため、モンケは彼にジョチ家の家督を認証したが、ジョチ・ウルスへ帰投する途中で病没し、かわりに四男で幼少の末子のウラクチに家督を継がせるよう勅が下った。しかしウラクチは程なく夭折し、実質的にウルスを統括していたバトゥの次弟のベルケへの家督継承が勅によって認証された。以後のバトゥの血筋は次男のトクカンと三男のエブゲンに引継がれ、ベルケの死後にトクカンの次男のモンケ・テムルがジョチ・ウルスを相続することとなる。 また、バトゥには多くのハトゥンや妻妾がいたといわれているが、東西の文献双方で名前が確認できるのは、バトゥの正妃筆頭であったアルチ・タタル部族のボラクチン・ハトゥン(Burāqchīn Khātūn)ただひとりである。他にオイラト部族の首長トレルチの娘であったベキ・ハトゥンがいたことが分かっている。このベキ・ハトゥンの姉妹には、チャガタイ家の当主カラ・フレグに嫁いだオルクナ・ハトゥンや、フレグの第四正妃オルジェイ・ハトゥン、バトゥの次男トクカンに嫁ぎ、モンケ・テムル、トダ・モンケの母となったコチュ・ハトゥンがいる。
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