バック川遠征とは? わかりやすく解説

バック川遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 09:43 UTC 版)

ジョージ・バック」の記事における「バック川遠征」の解説

1832年時点で、北極探検ジョン・ロス消息1829年以降途絶えたままであり、捜索隊派遣検討されていた。バックは、グレートスレーブ湖まで毛皮交易路をとり、そこから「グレート・フィッシュ川 (Great Fish River)」沿いに北東進んでロスがいると思われた場所へと進む計画提案した。この「グレート・フィッシュ川」は、まだ白人によって確認されことはなかったが、その存在インディアンからの情報知られていた(この川は後にバック川 (Back River) と命名された)。1833年2月バックイングランド発ち8月には、ハドソン湾会社のジョージ・マクラウド (George McLeod) によってグレートスレーブ湖東端築かれていたリライアンス砦 (Fort Reliance) の越冬施設達したバック8月29日に川の位置確認した後、冬に備えて砦に戻った1834年3月バックは、ロスが既にイングランド帰還したという知らせとともにロス発見したキングウィリアム島から、フランクリン発見したケント半島 (Kent Peninsula) の)ターンアゲイン岬 (Point Turnagain) までの沿岸探険せよという指示受け取った1834年6月7日出発したバックは、アーティラリー湖 (Artillery Lake) とクリントン=コールデン湖 (Clinton-Colden Lake) を経て6月28日に川に到達したバック不毛の地川沿い東進し83カ所で急流越え、1カ所では船を陸路運んだバックは、7月23日にチャントレー湾 (Chantrey Inlet) で海水達したバックはこの湾内探険し、北方キングウィリアム島確認したが、英雄的とは言えない、しかし賢明な決断をして引き返したバックは、1834年9月27日リライアンス砦へ帰還し1835年9月8日イングランド帰国した。この遠征加わっていた博物学者リチャード・キング (Richard King) は、ベック遠征報告気象学植物学付録寄稿し、さらに自らも2冊本の遠征記を執筆した1838年王立地理学会は「グレート・フィッシュ川」の探険業績に対してバック創立者メダル贈った

※この「バック川遠征」の解説は、「ジョージ・バック」の解説の一部です。
「バック川遠征」を含む「ジョージ・バック」の記事については、「ジョージ・バック」の概要を参照ください。

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