ハーレムへの帰還、ロサンゼルスへの移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:44 UTC 版)
「ベニー・カーター」の記事における「ハーレムへの帰還、ロサンゼルスへの移住」の解説
1938年、カーターはアメリカに戻り、あらたに結成した自楽団を率いて1939年から翌年にかけてハーレムの有名なサヴォイ・ボールルームに出演した。彼の編曲は人気があり、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、レナ・ホーン、グレン・ミラー、ジーン・クルーパ、トミー・ドーシーなどによって録音された。しかし、カーター自身のヒット曲はビッグバンド時代にElla Mae Morseによって歌われた『Cow-Cow Boogie』というノベルティ・ソング1曲のみである。その他1930年代にカーターが作編曲家として残した楽曲では『When Lights Are Low』『Blues in My Heart』『Lonesome Nights』などが古典とされている。 1943年、ロサンゼルスへ移住した後はスタジオの仕事が増え、『Stormy Weather』(1943)をはじめとする多くの映画・テレビ音楽を担当した。 ちなみに、カーターは黒人として初めて映画音楽を作曲した1人であり、クインシー・ジョーンズはカーターを師と仰ぎ、1960年代に彼がテレビや映画の仕事を始めた時にもカーターを参考にしている。 ハリウッドでは、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、ビリー・エクスタイン、パール・ベイリー、レイ・チャールズ、ペギー・リー、ルー・ロウルズ、ルイ・アームストロング、フレディ・スラック、メル・トーメなどの編曲を担当した。なお、ビリー・ホリデイとは1958年のモントレー・ジャズ・フェスティバルでも共演している。 1945年には、マイルス・デイヴィス(トランペット)がサイドメンとしての初レコーディングをカーターの『Benny Carter and His Orchestra』というアルバムで行なっている。 1958年、アール・ハインズ(ピアノ)、リロイ・ヴィネガー(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)の新旧世代の混成メンバーによる1920年代アメリカのヒット曲を採り上げたアルバム『スウィンギン・ザ・20'S』を発表。続く1960年代にも新旧混成メンバーのビッグバンドによる『Further Definitions』(1961年)や、編曲を担当したペギー・リーの『ミンク・ジャズ』 (1962)などのスタジオ録音を残している。 1960年、自身のカルテットでオーストラリアを訪問。 1968年ニューポート・ジャズ・フェスティバルでディジー・ガレスピーと共演、同年スイスのバンドと録音する。
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