ハーシー・フーズ(NYSE:HSY)
| 住所: | 100 Crystal A DriveHershey, PA 17033United States |
| 電話: | 1- (717) 534-6799 |
| FAX: | 1- (717) 534-7873 |
| ウェブサイト: | http://www.hersheyfoods.com |
| 業種: | 消費財 |
| 業界: | 食料品 |
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ザ・ハーシー・カンパニー
(ハーシー・フーズ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/02 15:02 UTC 版)
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| 種類 | 公開会社 |
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| 市場情報 | |
| 略称 | Hershey's |
| 本社所在地 | ペンシルベニア州ハーシー |
| 設立 | 1894年2月8日 (as Hershey Chocolate Company) in Lancaster, Pennsylvania, U.S.[1] |
| 業種 | 菓子製造業 |
| 事業内容 | チョコレートおよび菓子製造 |
| 代表者 | ミルトン・S・ハーシー(創設者)、リチャード・H・レニー(CEO) |
| 売上高 | |
| 従業員数 | 14,300人 |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
ザ・ハーシー・カンパニー(The Hershey Company, NYSE: HSY)、前ハーシー・フーズ・コーポレーション(2005年4月に社名変更[2])は、アメリカ合衆国で最大手のチョコレート製造会社である[3]。通例ハーシーズ (Hershey's) と呼ばれる。
本部はペンシルベニア州ハーシーに置かれており、同地にはココアの香りが街中に漂うハーシーズ・チョコレートワールドもある。1894年にミルトン・S・ハーシーが、当時の彼が経営するランカスター・キャラメル社の子会社、ハーシー・チョコレート社として創立した。今や当社の菓子製品は世界中で販売されており、日本では1989年7月に東京都港区南青山に現地法人であるハーシージャパンが設立されている。
当社はアメリカ合衆国において最も古いチョコレート菓子会社の一つであり、また当社が製造するチョコレートバーはアメリカの象徴である。当社は他にも多くの菓子製造会社を所有しており、チョコレートをテーマとしたアミューズメント施設であるハーシー・パークや、アイスホッケーチームのハーシー・ベアーズ、ハーシーパーク・スタジアム、ジャイアント・センターを経営するハーシー・エンターテインメント・アンド・リゾート社とも提携している。
沿革
創立者のミルトン・スネーベリー・ハーシーは、1876年に菓子職人の見習いを修了しフィラデルフィアに菓子店を設立したが、6年後に倒産。その後ニューヨークで菓子製造を行うもうまくいかず、ペンシルベニア州に戻ってランカスター・キャラメル社を設立、新鮮なミルクをふんだんに使用したキャラメルを製造・販売すると、これが大成功を収めた。1900年、会社は100万ドル(現在の価値に換算しておよそ2200万ドルに相当)を売り上げ、それからチョコレート製造に着手し始めた。
1903年、ハーシーはペンシルベニア州に大規模なチョコレート施設の建設を始めた。この施設で製造されたミルクチョコレートバーが成功となり、それから当社は急速に成長していった。1907年にハーシーは、底が平らで円錐型をした小さなチョコレートを披露、商品名を「ハーシーキス (Hershey's Kisses)」と名付けた。当初この小さなチョコレートは一つ一つ四角いホイルで手作業による包装が施されていたが、1921年に機械包装が導入され、真のハーシーズ製品であることを示す小さな紙製のリボンが包装の上部に加えられるようになった。同製品はこの3年後に商標登録され、ハーシー社で製造された製品の中で最も成功した製品となった。他の同社製品として、ミスター・グッドバー(1925年)、ハーシーズ・シロップ(1926年)、チョコレートチップス(1928年)、クラッケルバー(1938年)がある。
1940年、産業別組合会議 (CIO) 労働組合を打ち負かして2年後の後、アメリカ労働総同盟の支部が、地方の最初の支部長となったジョン・シーラーの指導の下に当社の労働者を首尾よく組織した。現在、パン製作者・菓子製造業者・タバコ製造業者・穀類製粉業者の地方組合員番号464番は当社の労働者を表しており、そうした組合員自体を「チョコレート労働者」などと呼称しているが、他の産業における地方労働者をもうまく組織してきている。
ペンシルベニア州ハーシー以外に置かれる最初のチョコレート製造施設が、1963年6月15日にカナダのオンタリオ州スミス・フォールズに開設された。また1965年5月22日にはカリフォルニア州オークデールに185,000平方メートル(200万平方フィート)の製造スペースを持つチョコレート工場が開設され、世界で最も大きいチョコレート工場となった。これらは当社の主要な工場であり、スミス・フォールズの施設では工場ツアーも開催されている。かつてはペンシルベニア州の工場内でもツアーが実施されていた。
当社のチョコレート製品は、その幅広い流通網により、アメリカ合衆国中で入手できる。当社は最新科学と労働経営システムを結集した全3か所の巨大流通センターを有している。
ハーシージャパンが設立される以前の日本では、商品ジャンルごとに不二家、雪印などと提携しライセンス製造・販売を行っていたが、今はロッテがその中心である。ハーシージャパンは輸入品の日本での販売を行う。
チョコレート製品
今日において、多くの当社製品はヨーロッパの伝統的なレシピを使用しておらず、大量生産に向くよう、ココアは少なめである一方で多くの糖類を使用しているため、日本国内で流通している一般的なチョコレートと比べるとかなり甘みが強い。ヨーロッパ諸国でも当社の製品は販売されているものの、どの国においてもシェアの上位にはない。
1988年、当社はアメリカ合衆国内において、キャドバリー・シュウェップス社製品の多くのライセンス製造と配給権を獲得した。その後キャドバリー・クリームエッグが合衆国内で販売されたが、それらは当社が直接イギリスのキャドバリー社から輸入したものであった。
2005年7月、当社はカリフォルニア州バークレーを拠点とするチョコレート小売メーカー、シャーフェンベーガー・チョコレートメーカー社の買収を発表した。
アメリカ軍が採用しているアメリカ軍用チョコレートの製造も担っている。
参考文献
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
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書籍
- ジョエル・グレン・ブレナー「The Emperors of Chocolate: Inside the Secret World of Hershey & Mars」(2000年) Broadway Books. ISBN 0-7679-0457-5
ウェブサイト
- リファレンス・フォー・ビジネス
- セント・ピーターズバーグ・オンライン
- サーフィング・ネット・ウィズ・キッズ
- ハーシーズ・ホームページ
- モトリー・フール
- キャンディ・ブログ - キャドバリー・ミニ(クリーム)エッグについて検証
- サンフランシスコ・クロニクル記事
脚注
- ^ “Hershey Company”. Encyclopædia Britannica. 2020年7月21日閲覧。
- ^ “Name Change at Hershey”. Prepared Foods (2005年4月25日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月6日閲覧。
- ^ “Hershey's ハーシー”. 鈴商. 2021年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月6日閲覧。
関連項目
- レイジング・ブル - 画面に映えるという理由で当社のチョコレート・シロップが血糊に使われた。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- ハーシージャパン - 日本法人ウェブサイト
- 株式会社鈴商 - 同社によるハーシー社紹介ページ
- ザ・ライセンシング・カンパニー - ライセンスエージェント
固有名詞の分類
- ハーシー・フーズのページへのリンク