ハーグ国際阿片会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 02:01 UTC 版)
ルーズベルト大統領は、国際的な統制を進展させるための更なる国際会議の開催を提案した。これにより1911年12月1日からオランダのハーグにおいて万国阿片会議が開催された。この会議の主催はオランダが勤めた。アメリカ、イギリス、イラン、イタリア、オランダ、シャム、中国、ドイツ、日本、フランス、ポルトガル、及びロシアなど24カ国が参加した。この会議では、アヘンの他にモルヒネやコカインの統制についても協議され、1912年1月23日に条約は調印された。ハーグ阿片条約又は万国阿片条約とも称される条約は6章からなり、主に以下の6点について規定された。オランダがこの条約の実施に関する職務を負った。 生阿片(ケシの未熟果から取れる乳液を乾燥させたもの)の生産、及び分配の取締を法制化すること。 煙膏(生阿片を喫煙用に加工したもの)の製造、取引、使用の禁止。 アヘンやヘロイン、モルヒネ等の製造、販売、輸出入を医学用途に制限すること。 中国及び極東諸国への密輸を禁制するための必要な措置を取ること。 禁制薬物の所持を犯罪とみなすこと。 条約の内容はおおむね、あへん、モルヒネ、コカインやそこから誘導された薬品、それと同等の害毒を持つものの乱用を漸次禁止することである。 この条約はドイツの提案により即時の批准を求める物ではなく、大半の国は批准しなかった。その結果、1913年と1914年に2度の国際会議が開催され、アメリカなどにより諸国へ批准の催促が行われたが、批准は得られなかった。
※この「ハーグ国際阿片会議」の解説は、「万国阿片条約」の解説の一部です。
「ハーグ国際阿片会議」を含む「万国阿片条約」の記事については、「万国阿片条約」の概要を参照ください。
- ハーグ国際阿片会議のページへのリンク