ノウ・ナッシングという言葉の使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 14:09 UTC 版)
「ノウ・ナッシング」の記事における「ノウ・ナッシングという言葉の使用」の解説
ノウ・ナッシングという言葉は党そのものよりも記憶されている。ノウ・ナッシング運動の外国人排斥という考え方は、1920年代のクー・クラックス・クランや、1890年代のアメリカ保護協会のような政治的な動きで復活した。 19世紀後半の1890年、民主党はウィスコンシン州でのベネット法(公立学校の教育に英語を強制した)に関する運動をしたときに、ドイツ系アメリカ人からの票を確保するために、共和党のことを「ノウ・ナッシング」と呼ぶことになった。類似した文化戦争は1892年のイリノイ州で、民主党のジョン・ピーター・アルトゲルドが共和党を次のように非難した時にも起こった。 外国人・治安諸法を成立させた精神、「ノウ・ナッシング」を活動させた精神、外国生まれの市民について苦情を言い、その権利を制限しようとした精神は党の中にあまりにも深く根付いている。貴族的で何も知らない(ノウ・ナッシング)の原理はその仕組みの中に長く流れているので、その骨から毒を振り出すために1回のとんぼ返り以上のものを要求することになるだろう。 ノウ・ナッシングという言葉は挑発的な言葉となってきており、敵が外国人排斥主義で無知であることを暗示している。1968年の大統領選挙でアメリカ独立党候補のジョージ・ウォレスは「ネオ・ノウ・ナッシングの旗」の下にいると雑誌「タイム」から言われた。編集者ファリード・ザカリアは、「アメリカ人が外国人を怖れるよう奨励した」政治家は、「ノウ・ナッシングに現代への生まれ変わり」になっていると語っていた。保守派ウィリアム・クリストルによる雑誌「ウィークリー・スタンダード」2006年の論説では、ポピュリストの共和党員を「共和党を反移民のノウ・ナッシング党に変えている」と非難した。「ニューヨーク・タイムズ」2007年5月20日号の主論説は、このとき提案されていた移民法案に関して「今の世代でのノウ・ナッシング」と述べていた。同じく「ニューヨーク・タイムズ」の2010年8月27日号では、ティモシー・イーガンが書いた『ノウ・ナッシングの国を造る』と題する論説で、バラク・オバマ大統領は米国生まれではなく、大統領になる資格はないとするバーサー運動を検討していた。
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