ヌーシュとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:21 UTC 版)
「ポール・エリュアール」の記事における「ヌーシュとの出会い」の解説
1927年にシュルレアリスムの詩集『苦悩の首都』、1929年にはガラに捧げる『愛・詩』を発表した。一方、ガラはエルンストと公に付き合うようになっていたが、エリュアールがベルギーのシュルレアリスム作家カミーユ・ゲーマンス(フランス語版)を介して知った画家サルバドール・ダリに会うために、ガラとともに1929年にカダケスを訪れたとき、彼女はダリに惹かれ、1934年に正式に結婚した。エリュアールもまた、1930年にアルザス生まれの女優のマリア・ベンツに出会った。彼女もまたドラ・マール、リー・ミラー、ヴァランティーヌ・ユーゴー(フランス語版)らとともにシュルレアリストのミューズとされる。エリュアールは彼女をヌーシュ(ヌーシュ・エリュアール(フランス語版))と呼び、4年後に結婚。1946年に彼女が急死するまで16年間共に生きた。 1930年にエリュアールはブルトンとの共著『無原罪の御宿り』を発表した。これは、シュルレアリスムの自動記述を綴ったものであり、神経衰弱疑似症の実験、強烈な偏執狂の疑似症の実験、全身麻酔疑似症の実験、表現錯乱疑似症の実験、早発性痴呆症疑似症の実験などの内容を含む。部数は2,000部、併せて豪華版111部が刊行された。表紙にはダリによるエロティックな画が掲載されている。カトリックの「無原罪の御宿り」は、聖母マリアの「処女懐胎」と区別され、マリアが母アンナの胎内に宿ったときから原罪を免れていたとする教義であり、表紙画の原案では、ルルドの聖母の写真を使用し、頭部の周囲に「私は無原罪の御宿りである」と書かれていた。カトリックの教義の非科学性を批判する本書は、ダリの画を掲載することで、その意図を明確に示すことになった。
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