ニューカッスル綱領と総選挙辛勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「ニューカッスル綱領と総選挙辛勝」の解説
1880年代後半は、長引く不況で失業者が増える中、労働者問題が注目されていた時期である。1888年にはマッチ工場の女工たちがストライキを起こし、その悲惨な労働環境を訴えて世間の注目を集めた。1889年にはガス労働者や湾岸労働者がストライキを起こし、労働組合を結成した。 こうした情勢の中、「伝統的な自由放任主義は限界にきており、社会政策への取り組みが必要だ」という主張が多くなされるようになった。古風な自由主義者であるグラッドストンは自由放任主義の修正に消極的だったが、側近たちからの忠告でしぶしぶアイルランド自治法以外にも労災の雇用者責任や労働時間の制限などの公約を盛り込んだニューカッスル綱領を作成した。 1892年6月末に解散総選挙(英語版)となった。選挙の結果、自由党が274議席、保守党が269議席、アイルランド国民党(パーネル派・反パーネル派合わせて)が81議席、自由統一党が46議席を獲得した。グラッドストンはアイルランド自治派(自由党とアイルランド国民党)が100議席以上の差をつけて反アイルランド自治派(保守党と自由統一党)に勝つと予想していたが、実際には40議席差の辛勝となった。 [先頭へ戻る]
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