ナッフィールド・オーガニゼーション時代(1938年-1952年)
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1935年、ウィリアム・モーリス(初代ナッフィールド子爵)の所有するモーリス・モーター・カンパニーの子会社となる。ウーズレー車はこの時点から独自色を薄めていき、モーリス社の設計ベースの車へと変わっていく。1938年にライレー社とその子会社のオートヴィア社がモーリス傘下となってからは、この企業群はナッフィールド・オーガニゼーションとよばれることになる。 1945年、戦争の惨禍がようやく終わり、生産施設はオックスフォードのカワリー(Cowley)に集約され、ここでバッジエンジニアリングが引き続きおこなわれる。戦争前のデザインで10hpのシリーズIIIが生産されはじめる。一方、モーリス・シリーズEの上級版としてウーズレー 8という新モデルも投入される。このウーズレー 8はモダンなナッフィールド車のボディデザインにウーズレーのフロントとトリムをつけたものだった。 1948年にはウーズレー 4/50および6/80がモノコック構造でデザインされた。しかしこれはモーリス・オックスフォードMOを大きくしたものだった。4/50と6/80では新型のOHC4気筒そして6気筒エンジンを搭載していた。このエンジンは他にはモリース・シックスにしか使われていない。この時期は戦後の耐乏生活期であり、戦前の豪華仕様ウーズレー風室内デザインは時代にそぐわないものだった。 1948年10月にはウォード・エンドで99 4/50や19 6/80の生産が開始され、モーリス・シックスも5台を生産したが、1949年1月には、カワリーのナッフィールド工場に移転することになる。
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