ナチス政権下のドイツ軍時代
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「クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の記事における「ナチス政権下のドイツ軍時代」の解説
ナチ政権下においても軍では順調に昇進を果たした。1933年5月1日に中尉(Oberleutnant)に昇進。1934年10月から1936年10月にかけてはハノーファー騎兵学校で訓練将校の助手を務めた。1936年6月には軍大学へ進むための軍管区試験に合格した。また英語の通訳試験で優秀な成績をとっていたため、1936年9月にはイギリスを訪問した。1936年10月から1938年7月にかけてベルリン=モアビト地区(Berlin-Moabit)にある軍事大学(Kriegsakademie)に入学した。クラス首席の成績で卒業している。軍事大学在学中の1937年1月1日に騎兵大尉(Rittmeister)に昇進する。 1938年8月1日にはエーリヒ・ヘプナーの指揮するヴッパータール駐留の第1軽師団(後に第6装甲師団に改組される)に補給係将校として配属される。ミュンヘン協定に基づき、1938年10月1日にドイツ軍がチェコスロバキアのズデーテン地方へ無血進駐を開始。フォン・シュタウフェンベルクの所属する第1軽師団も10月4日にズデーテンに入り、チェコスロバキア軍の動員を解除されたズデーテン兵士や避難民を誘導する任務にあたった。二週間で任務は終わり、師団はヴッパータールへ帰還した。フォン・シュタウフェンベルクはヴッパータールを「想像を絶するほどプロレタリア的」と評し、この町で暮らすのを嫌がっていたが、1938年12月になって妻と子供たちをヴッパータールへ呼び、この町に居を構えることになった。以降1943年7月までここを居とした。
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