ナチス政権樹立
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「オットー・マイスナー」の記事における「ナチス政権樹立」の解説
さらに決定的な役割を演じたのは、1932年末から1933年1月にかけての時期で、機能不全に陥ったシュライヒャー内閣の退陣と、それに代わるアドルフ・ヒトラーの首相就任に関係した。オスカー、フランツ・フォン・パーペンと共に大統領側の中心人物として、ナチス側代表のヨアヒム・フォン・リッベントロップらと折衝に当たり、個人的にも反目していたヒンデンブルクとヒトラーの接近をもたらした。 1934年のヒンデンブルクの死後、辞職を申し出たが慰留された。国家元首となったヒトラーは1935年に役所名を大統領官房と改め、職務を象徴的・儀礼的なものに限定した。1937年にマイスナーは「大臣待遇国務相、及び指導者兼ドイツ国首相の大統領官房長」に任命された。ヒトラーが自殺して役職が消滅した1945年までこの職にあったが、ナチス・ドイツ時代を通じて儀礼的・形式的な役職であり、政治的影響力はほぼ無かった。また1937年1月30日にヒトラーよりナチス党員名誉金章を授与され、同時にナチ党に入党した(党員番号3,805,235)。
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