ナシオナルの起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 10:16 UTC 版)
「スーペルクラシコ (ウルグアイ)」の記事における「ナシオナルの起源」の解説
一方、ナシオナルは旧来からモンテビデオに住むウルグアイ人が中心となって創設した南米ネイティブのクラブである。当時のモンテビデオの人口29万人の半数以上はウルグアイ国外出身者であった。そんな中、1899年5月14日にナシオナルは創設された。トリコロールのクラブカラーは、ウルグアイ独立の英雄ホセ・アルティガスの3色旗に由来する。CURCCをはじめヨーロッパ人によって運営されるクラブが多数を占める中、クリオーリョの選手によるクラブの結成は悲願であり、ナショナリズム支持者を中心に急速に人気を獲得した。国内リーグへの初年度の参加は拒否されたものの、リーグ創設2年目の1901シーズンにようやく参加を果たした。以来、一世紀超にわたり一度もリーグ脱退や2部降格すらも経験することなく現在に至っている。ウルグアイ人のためのクラブであることを証明するように、ウルグアイ代表がアルゼンチン代表から初勝利をあげた1903年9月13日の親善試合のメンバーは、完全にナシオナルの選手だけで構成されていた。 このように、両クラブは人気と実績において国内を二分してきただけでなく、モンテビデオ郊外のイギリス人労働者のスポーツクラブにルーツを持つペニャロールと、クリオーリョが立ち上げて都心部で発展してきたナシオナル、さらに一度はウルグアイサッカー協会に反旗を翻したペニャロールと、協会に対し常に忠実であり続けるナシオナル、というアイデンティティの違いも互いの対抗意識を増長させてきた。19世紀に始まった2大クラブのライバル関係は21世紀に入った現在も続いている。
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