ナイスネイチャと馬場秀輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 15:50 UTC 版)
「ナイスネイチャ」の記事における「ナイスネイチャと馬場秀輝」の解説
ナイスネイチャと競走馬時代の担当厩務員であった馬場秀輝の結びつきは非常に強いものであった。若馬の頃のナイスネイチャは我が強くスタッフが手を焼く存在であったが、馬場は全く怒ることなく接し続け、やがてナイスネイチャは馬場に対しては引き綱なしで後ろを付いて歩くほど大人しい馬となった。一方では競馬のときに馬場が付いていなければ発馬機に近づこうとせず、調教でも駐立したまま動かなくなってしまうことがしばしばあった。稲垣茂は「それほどまでの信頼感が馬と人の間にあるケースは実に珍しい」とこれを評している。 また、レースの一週間前程度からは1回分で15000円もするマムシの粉末を餌に混ぜ、ナイスネイチャのために食べさせていた。それを1日3回繰り返すのだが、費用は全て馬場の自腹であったという。 ナイスネイチャ引退の原因となった脚の怪我を発見した際には、ごく小さいひび割れで、ラストランの予定となっていた有馬記念を走っても問題ないほどのものだったが、馬場は馬の将来を思い、万が一があってはいけないと涙ながらに松永善晴を説得したとされる。連続出走記録の懸かった競走前であり、その記録を誇りとし誰よりも楽しみにしていた松永は「(ナイスネイチャのことを誰よりも知っている)お前がそういうのだったら、仕方が無いな」と言い、馬場の言を認めたという。 また馬場はナイスネイチャのファンとの交流も欠かさず、送られてきた膨大な千羽鶴をナイスネイチャの馬房の扉に飾り、競馬の後にはメンコやゼッケンを気軽にファンに配布した。稲垣によれば、ナイスネイチャに会いに栗東を訪れるファンのうち、相当数が馬場のファンでもあったという。馬場は1998年に交通事故に遭い41歳で死去したが、これはナイスネイチャを通じて知り合ったファンの結婚式に出席した帰路での出来事であった。
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