ドイツ軍入隊までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 00:28 UTC 版)
「ピエール・ロスタン」の記事における「ドイツ軍入隊までの経緯」の解説
長らく職業軍人としての人生を歩んできたロスタンは、フランス敗戦(休戦)後のヴィシー政権軍(Armée d'armistice、ヴィシー政権下のフランス軍)に改めて入隊し、祖国フランスとその政府のために働くことを希望した。 1941年夏、ソビエト連邦と戦うフランス人義勇兵部隊「反共フランス義勇軍団」(LVF)がフランスで創設された。しかし、熱烈な愛国者であるが政治的要素を嫌うロスタンにとって、フランスの親独的ファシズム政党の領袖が創設を主導し、また、ヴィシー政権の承認を得ていない非合法な反共フランス義勇軍団は明らかに政治的軍事組織であった。 そのため、ロスタンはヴィシー政権の公式な義勇兵部隊として1942年6月下旬に創設された三色旗軍団(Légion tricolore)に同年10月13日に入隊したが、フランス軍(ヴィシー政権軍)の兵力増加を危惧したフランス占領ドイツ軍の命令によって間もなく三色旗軍団は解散に追い込まれた。さらに、11月末にドイツはフランスに残っていた唯一の正規軍であるヴィシー政権軍をも解散させた。 占領ドイツ軍の一連の干渉によって職を失った三色旗軍団やヴィシー政権軍のフランス軍人の中には、ドイツ陸軍の指揮下で東部戦線に従軍中の反共フランス義勇軍団へ入隊する者もいたが、ロスタンは昨日の敵(ナチス・ドイツ)の軍服を喜んで着るような熱狂は持っていなかった。 しかし、既に反共フランス義勇軍団に入隊していた戦友たちから臆病者呼ばわりされたことにロスタンはショックを受けた。ロスタンは即座に反共フランス義勇軍団への入隊契約書に署名し、自分が臆病者ではないことを示した。それでもなお、ロスタンの心の中の疑念は晴れていなかったが、ヴィシー政権の象徴であるペタン元帥の存在がロスタンの背中を押した。ロスタンにとって「合法」という言葉はありとあらゆる物事において重要であった。
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