ドイツ軍側の情勢
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この作戦の実施地域は、ちょうどドイツ国防軍B軍集団の第7軍と第15軍の二つの軍団の責任境界線をまたぐ形になっていた(軍集団 - 軍 - 師団という構成となる)。連合軍は、彼らが守備責任について混乱するであろうこの境界線の位置を、意図的に選んだ。ドイツ軍の全ての部隊は、広い地域に散在していた。連合軍の盛んな欺瞞作戦も奏功し、ドイツ軍は連合軍がイギリスから最も近いパ・ド・カレーから上陸すると確信しており、そこへ上陸を阻止するための戦力を集中させていた。それ以上に、ドイツ軍は連合軍が晴天の日に上陸するであろうことを、過去の戦況からも確信していた。 1944年6月5日・6日の天気予報は悪天候と予想されており、このため多くの将官が持ち場を離れていた。B軍集団第7軍の指揮官、フリードリッヒ・ドールマン将軍は、5日から他の将校とともに、机上演習のためレンヌ(カーンの南西約100km)にいた。北フランスを守備するB軍集団の総指揮官エルヴィン・ロンメル陸軍元帥も、6月6日には妻の誕生日を祝うためにドイツに戻っていた(ヒトラーにSS機甲師団の指揮権委譲を求めるためだったとも言われている)。 ノルマンディーには第352、第711、第716歩兵師団が展開していたが、いずれも主力はイギリス軍第6空挺師団の降下地点から遠かった。また、ナチス親衛隊のフリッツ・ヴィットが率いる第12SS機甲師団"ヒトラー・ユーゲント"、および、1944年5月8日に編成されたばかりのエドガー・フォイヒティンガー将軍が率いる第21機甲師団(注:北アフリカでの第21師団とは無関係)、計約2万名が作戦の障害となると想定された。第12SS機甲師団"ヒトラー・ユーゲント"の隊員は、せいぜい17歳程度の若者ばかりであり、またトンガ作戦の実行区域へ移動するには少なくとも12時間を要した。しかし、第21機甲師団はカーンの南に配置されており、これは連合軍にとってかなりの脅威となるものと想定された。
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