トーンハレ協会の設立まで
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「フィルハーモニア・チューリッヒ」の記事における「トーンハレ協会の設立まで」の解説
フィルハーモニア・チューリッヒの歴史は、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団と密接な関係を持つ。 チューリッヒでは1834年から、チューリッヒ最初の常設劇場であるアクティエン(株式)劇場(Aktientheater)でオペラが上演されていたが、1890年を迎えたその夜、この劇場は火災で焼失した。アクティエン劇場では1850年代初め、リヒャルト・ワーグナーが自身の指揮で『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』を上演した。ワーグナーの作品上演のために、オーケストラは30人だったのが70人にまで増員された。1851年、ワーグナーは、チューリッヒの音楽生活改善を提案する「チューリッヒにおける劇場 (Ein Theater in Zürich)」という論文を発表した。1853年、市民音楽協会(Allgemeine Musikgesellschaft, AMG)主催による、第1回ワーグナー音楽祭がアクティエン劇場で催された。 1861年、AMGとアクティエン劇場で常時演奏している31名のプロ音楽家によるアンサンブルのために、オーケストラ協会(Orchesterverein)が創設される。 1867年、現在のチューリッヒ歌劇場が建つ場所にあった旧穀物倉庫(alte Kornhaus)が音楽ホール「トーンハレ(Tonhalle)」に改築され、スイス音楽祭が催される。 1868年、トーンハレ協会(Tonhalle-Gesellschaft)設立により、AMGは解散した。トーンハレ協会のオーケストラは、新しく建てられたトーンハレ大ホールにおいて、初代首席指揮者フリードリヒ・ヘーガーとその友人ヨハネス・ブラームスを指揮者に迎え、優れた演奏を行う。その後も、作曲家フェルッチョ・ブゾーニ及び後にトーンハレ首席指揮者となるフォルクマール・アンドレーエとともに、さらに質の高い演奏を続けていく。
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