トレントンでの勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 08:10 UTC 版)
「プリンストンの戦い」の記事における「トレントンでの勝利」の解説
詳細は「トレントンの戦い」を参照 1776年11月16日にニューヨークの最後の砦が陥落し、ジョージ・ワシントンの率いる大陸軍は、ニュージャージーからデラウェア川を越えてペンシルベニアまで撤退していた。大陸軍と大陸会議の間で悲観的な気分が蔓延する中で、ワシントンは起死回生の策を立てた。12月25日、ワシントンは夜陰と嵐に紛れて2,400名の兵士を率いてデラウェア川を渡った。9マイル (14 km) の行軍後に、ニュージャージーのトレントンに駐屯していたイギリス軍のドイツ人傭兵部隊を急襲し、100名以上を戦死または負傷させ、900名以上を捕虜にした。大陸軍の間にまだやれるという気持ちが生まれたことで、この勝利の意味は大きかった。ワシントンはイギリス軍の反攻を恐れて、一旦デラウェア川を再度渡り、ペンシルベニアに撤退した。12月29日、ワシントンは再度部隊を率いてデラウェア川を渡り、トレントンで守備陣地を構築した。12月31日、ワシントンは大晦日で徴兵期限の切れる兵士達に10ドルの追加報奨金であと6週間軍隊に留まるよう訴えた。この訴えが功を奏し、大半の兵士は留まることに合意した。この日にはまた、大陸会議が独裁的とも言われることの多い幅広い権限をワシントンに6ヶ月間与える決議を行ったことをワシントンは知った。
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