トレバー・ウィルキンソン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 06:53 UTC 版)
「TVR」の記事における「トレバー・ウィルキンソン時代」の解説
1947年にウィルキンソンは、パートタイムとして夜と週末のみ働いていたジャック・ピッカードを最初の従業員として雇用し、会社名をTVR Engineeringと改めた。軍のトラックの修理によって、安定した収入を得るようになった。 2年後、会社の経営が軌道に乗ったと判断したウィルキンソンは初めてTVR独自のシャーシの開発に着手する。彼もジャックも自動車工学の経験がそれほどなかったために、プロジェクトの完成までにはかなりの時間が費やされた。しかしながら、この時点でも主な収入源は機械の製作であった。 鋼鉄のパイプが枠組みされたシャーシが完成したところでテスト走行が行われたが、最初のテスト走行ではクルマは木にぶつかってやっと止まるといった状態だった。再び改良が加えられ、まともなブレーキが取り付けられた。ボディワークを手がけるためにレス・デールが雇用され、最初のTVR車輛が完成した。形は古くさく、製造者達はがっかりしたが、この車輛はウィルキンソンのいとこが購入し、車輛の完成前に次の顧客はすでに決定していた。この時点までは彼らの仕事はまだ趣味の域を出ないものだった。 その後もほとんど受注生産のワンオフモデルばかりで、生産量が増え出したのは1958年の「グランチュラ」の製造以降である。グランチュラはF1マシン、ロータス25にも搭載された名機、コヴェントリー・クライマックスを搭載したFRPボディの安価な軽量スポーツカーとして人気を博した。その後1963年にさらに過激な「グリフィス」を発表したが、その後経営が悪化、1965年にマーティン・リリーへとその経営が引き継がれた。
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