トラーフェミュンデでの飛行試験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 21:51 UTC 版)
「グラーフ・ツェッペリン級航空母艦」の記事における「トラーフェミュンデでの飛行試験」の解説
1937年、グラーフ・ツェッペリンからの発艦が翌年末に予定され、バルト海沿岸のトラーフェミュンデに置かれたドイツ空軍の実験的な試験用設備では、試作された空母艦載機のテストを行うという長期計画が始められた。こうした第三帝国の試験設備は4つあり、これはそのうちの1つで、本部はレヒリンに置かれていた。この試験には模擬的な空母への発着艦を実行し、将来の空母搭乗員を訓練することが含まれていた。 この滑走路にはグラーフ・ツェッペリンの飛行甲板の輪郭線が塗装された。さらにそれから、滑走路を横切って吊された制動索の上を通り、甲板へ降着するシミュレーションが行われた。制動索は、DEMAG社(Deutsche Maschinenfabrik A.G. Duisburg)によって製造された電気機械式制動装置に装着された。この試験はハインケルHe 50、アラドAr 195、そしてアラドAr 197の機体を使用して1938年3月から始められた。この後、ブレーメンのアトラス・ヴェルケがさらに強力な制動ウィンチを供給し、フィーゼラーFi 167やユンカースJu 87といった、より重量のある航空機が試験されるようになった。当初のいくらかの不具合の後、ドイツ空軍の操縦者たちは1,800回の試行の内、1,500回の制動をともなう降着に成功した。 トラーフェ川の河口につながれた長さ20mの艀に空気式カタパルトを搭載し、これを用いて発進が練習された。ハインケル社設計のカタパルトは、ドイチェヴェルケ・キール(DWK)によって製造され、風の状況によっては航空機を速度145km/hに加速することができた。グラーフ・ツェッペリン上と同じ方法を意図し、試験飛行機はまずクレーンによって折り畳み可能な発進用トロリーの上に吊り上げられた。 カタパルトの試験計画は1940年4月に開始され、また5月上旬までに36回の発進が実施された。後の研究のために全てが注意深く文書化され、記録撮影された。17回はアラドAr 197、15回は改修されたユンカースJu 87Bにより、また4回はメッサーシュミットBf 109Dを使用した。更なる試験が続行され、6月までにドイツ空軍当局はカタパルトシステムの性能に完全に満足していた。
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