デトロイトへの移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:51 UTC 版)
「ウィリアム・ハル」の記事における「デトロイトへの移動」の解説
ハルは1812年5月10日にオハイオ州シンシナティに到着し、デイトンで民兵隊の指揮を執った。この民兵隊は3個連隊で構成され、それぞれの連隊長にダンカン・マッカーサー、ルイス・カス、ジェイムズ・フィンドレー各大佐を選んでいた。この部隊はマイアミ郡ストーントンに進み、続いてアーバナまで行って第4歩兵連隊の300名と合流した。民兵隊の兵士は装備が貧弱であり、軍隊の強い規律を嫌がったので、ハルは行軍の残りで何度か命令不服従に遭遇したときに歩兵連隊に頼ることになった。6月終わりまでに軍隊はモーミー川の早瀬まで到着し、そこでハルは後に振り返ることになる最初の誤りを犯した。 イギリスに対する宣戦布告は1812年6月18日に発せられ、同日に陸軍長官のユースティスはハル将軍宛てに手紙を2通発送した。その1通は特務伝令によって運ばれ、6月24日に配達されたが、宣戦布告について触れていなかった。もう1通に宣戦布告について触れ、普通郵便で送られ、届いたのは7月2日になってからだった。その結果、モーミー川に着いた時には開戦を知らず、軍隊は航行可能な水域に来ていたので、軍に先立ってスクーナーのカユホガ・パケットに多くの傷病兵、物資、さらに公式文書を載せてデトロイトに向かわせた。デトロイト川沿いのイギリス軍アマーストバーグ砦の指揮官は2日早く開戦の報せを受け取っており、この船が通り過ぎようとしたのを捕獲した。その積荷にはアマーストバーグ砦に対する攻撃の文書と作戦の全てが含まれていた。
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