デサグリアス (Desaguliers, John Theophilus)
デサグリアスという人は
ジョン・テオフィルス・
デサグリアス
グレイの没後も研究を引き継ぎ、電気的物質(絶縁体)、非電気的物質(導体)を発見する。 このときに人間の体も導体であるとされたし、電気は琥珀やガラスにのみ発生するものではないという考え方も生まれていった。 物体には2種類の電気が同じだけ存在し、摩擦によってこれが分離し、2種類のうちの一方が残って荷電するという理論を初めて発表した。
デサグリアスの主な経歴
1737年、電荷の蓄積作用を発見する。 真鍮リングをはめたガラス管で実験し、ガラス部分を摩擦すると真鍮部分が帯電する。 ガラスが十分に乾燥している場合、もしくは真鍮部の付近に電荷がある場合に、真鍮部分の帯電は長い時間保つことを発見した。 以降、電荷の研究が活発化し、ルドルフの火花点火、ミュッセンブルークのライデン瓶へとつながっていく。 電気を蓄えるという点ではボルタ電池のボルタが有名であるが、 第一発見者は50年も前の人、デサグリアスである。
ジョン・テオフィルス・デサグリアス
ジョン・デサグリエ
(デサグリアス から転送)
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ジョン・デサグリエ(John Theophilus Desaguliers)またはジャン・デサグリエ(Jean-Théophile Desaguliers, 1683年3月12日 - 1744年2月29日)はフランス生まれのイギリスの科学者である。フリーメイソンの有力なメンバーの一人である。表記はデザグリエ、デサグリアス、デザグリアスなどもある。
人物・略歴
ユグノー教徒の子息としてフランスのラ・ロシェルに生まれ、11歳のときナントの勅令の廃止により家族とともにイギリスに逃れた。オクスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジで神学、古典を学び1710年に輔祭となった。同時に自然科学を学んだ。1712年にロンドンに出てアイザック・ニュートンや他の王立協会のメンバーの知己を得て1714年、王立協会のフェローになった[1]。
スティーヴン・グレイに次いで、導体と不導体の差異を認識した最も初期の人物である。その概念を表す用語、"electrics"(電気的性質)と"nonelectrics"(非電気的性質)を創り出したのは彼である。ただし前者が不導体、後者が導体を意味する。摩擦した際に帯電するかどうかに着目しての名称だからである。[2]
ニュートンの理論を広める A course of Experimental Philosophy を出版し、1734年、1736)年、1741年の3回にわたって王立協会からコプリ・メダルを受けた。
発明家としても活躍し、トーマス・セイヴァリの蒸気機関の解析と改良を行い、ボイラの安全弁付加、蒸気による暖房機、レシーバ容器内への冷水直接噴射を発明した[注釈 1]。
脚注
注釈
- ^ 安全弁は1679年にドニ・パパンにより発明され、冷水直接噴射はトーマス・ニューコメンが最初に用いた。いずれも1712年の初期のニューコメン機関では用いられていた。(H.W.Dickinson "A Short History of the Steam Engine}", Cambridge at the University Press(1939), pp.29-53.)。
出典
- ^ "Desaguliers; John Theophilus (1683 - 1744)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。
- ^ 城阪俊吉著『エレクトロニクスを中心とした年代別科学技術史(第5版)』日刊工業新聞社、2001年
関連項目
外部リンク
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