デーブ・キングマンとは? わかりやすく解説

デーブ・キングマン

(デイヴ・キングマン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/21 10:10 UTC 版)

デーブ・キングマン
Dave Kingman
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 オレゴン州ペンドルトン
生年月日 (1948-12-21) 1948年12月21日(76歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1970年 ドラフト1巡目
初出場 1971年7月30日
最終出場 1986年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

デビッド・アーサー・キングマンDavid Arthur Kingman, 1948年12月21日 - )はアメリカ合衆国オレゴン州ペンドルトン出身の元プロ野球選手外野手)。ニックネームは「Kong」、「Sky King」。

経歴

大学時代

南カリフォルニア大学入学当初は投手だったが、後に外野手にコンバートされる。1970年には全米代表に選ばれ、同年チームをメンズ・カレッジ・ワールドシリーズに導く。同年の2次ドラフトでサンフランシスコ・ジャイアンツから1巡目に指名を受け入団。

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代

1971年7月30日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。翌日の同カードでメジャー初本塁打となる満塁本塁打を放つなど5打点を記録。翌日のダブルヘッダー第2戦でも2本塁打を放ち、最高のスタートを切る。打率.278、6本塁打を記録し、チームは地区優勝を果たす。ピッツバーグ・パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.111と振るわず、チームも1勝3敗で敗退。結果的にこれが自身最初で最後のポストシーズンとなった。1972年に29本塁打、83打点を記録するが、打率は.225だった。

ニューヨーク・メッツ時代

1975年2月28日に金銭トレードでニューヨーク・メッツに移籍。1年目は36本塁打、88打点、1976年オールスターゲームに初めて選出され、先発出場を果たした。シーズンでも37本塁打、86打点を記録。1977年6月15日にボビー・バレンタインらとの交換トレードでサンディエゴ・パドレスに移籍。

1年で3度の移籍

移籍後は11本塁打を放つなどまずまずの成績だったが、9月6日にウェーバー公示され、カリフォルニア・エンゼルスが獲得。しかし9月15日にトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍する。チームは地区優勝を果たしたが、ポストシーズンの出場資格がなかったためロースター入りはできなかった。このシーズンは4球団でプレイ。しかも、ナショナルリーグ東地区所属のメッツ、同西地区所属のパドレス、アメリカンリーグ西地区所属のエンゼルス、同東地区所属のヤンキースと、両リーグの両地区(当時は東西2地区制)それぞれの所属球団でプレイした。オフにフリーエージェントとなり、11月30日シカゴ・カブスと契約。

シカゴ・カブス時代

1978年は28本塁打、79打点だったが、打率は.266を記録。1979年は開幕から好調で、前半戦終了時に打率.290、29本塁打、69打点を記録し、3年ぶりにオールスターゲームに選出されるが出場機会はなかった。シーズン通算で打率.288、48本塁打、115打点、97得点、長打率.613を記録し、本塁打王のタイトルを獲得。1980年オールスターゲームに2年連続で選出されるが、故障がちで81試合の出場に留まった。

メッツ復帰

1981年2月28日にトレードでメッツに復帰。1982年に37本塁打を記録し、2度目の本塁打王のタイトルを獲得するが、自己ワーストの156三振、打率.204。これは本塁打王を獲得した選手としてだけでなく、規定打席に到達した一塁手のシーズン打率としては史上最低の数字だった。1983年は打率.198、13本塁打に終わり、解雇された。

オークランド・アスレチックス時代

1984年シーズン開幕直前の3月29日にオークランド・アスレチックスと契約。打率.268、35本塁打、118打点を記録し、カムバック賞を受賞する。1985年も30本塁打、91打点を記録。この2年で2つの"幻の本塁打"を放っている。1984年5月4日にメトロドームで行われたミネソタ・ツインズ戦で、打球が天井にはまってしまい二塁打扱いとなった。1985年は4月11日にキングドームで行われたシアトル・マリナーズ戦で、左翼に打った打球が天井から釣り下がっていたスピーカーを直撃し、落下してきたボールは捕球され、アウトとなった。1986年は打率.210ながら35本塁打、94打点を記録。オフにフリーエージェントとなった。

現役続行の予定だったが、当時は各球団のオーナーが共謀して高額フリーエージェント選手との契約を避けており(後に違法行為とされた)、どの球団とも契約できなかったボブ・ホーナーが翌シーズン途中にNPBヤクルトスワローズと契約したり、1986年のナ・リーグ首位打者ティム・レインズも旧所属球団モントリオール・エクスポズとの交渉解禁を待って復帰したりという「冬の時代」であった。1987年7月11日に古巣ジャイアンツとマイナー契約を結ぶがメジャー復帰は果たせず、引退となった。

尚、キングマンはMLB史上初の現役最終年のシーズン本塁打が30本以上であった選手である。2023年シーズン終了時点で同記録を持つのはキングマン以外にデービッド・オルティス(38本塁打)とカイル・シーガー(35本塁打)のみである。

選手としての特徴

198cmの長身と長い腕を生かしたスイングで打球を遠くまで運ぶ才能に優れていた。通算で442本塁打を記録し、推定168mの本塁打や1試合3本塁打を5回記録するなど典型的なパワーヒッターだったが、反面三振が非常に多く打率は低かった。また強打者である割に四球は少なく、出塁率も低かった。現役を通じて7つのチームでプレーし、性格の面では気難しい部分があったようだ。メッツ時代のチームメイトは彼を公共の場で"切り株の様な性格と称し、本人もスポットライトを拒み孤独を好む性格の持ち主であった。彼の予期せぬ言動や反社会的行動、そして試合中の独断的プレーは頻繁にトレード対象となる理由の一つであった。

名言・迷言

  • 「皆俺の三振の多さの事を話している。もし俺が毎日プレーしたら、もしかしたら400回位三振するかもしれない。けど、本塁打をどれ位打つかは俺にもわからない。毎日プレーした事はないからな。」―デーブ・キングマン、1975年。
  • 「彼を三塁手として見た時、私は好きではなかった。でも彼はベンチの中ではいい選手だし、クレオン・ジョーンズが活躍出来ない時のために我々にとって良い保険となる。」―メッツ監督時代のヨギ・ベラ、1975年。
  • 「俺はヨギに、もしデーブを150試合に出したら30から40位ホームランを打つと言ったんだ。そしてもし彼がレギュラーとして数年プレーする機会を与えたら、次に60本(本塁打)を打つのは彼かもしれない。」―ボビー・ボンズ、1975年。
  • 「あれはミルウォーキーまで飛んだ!」―シカゴラジオアナウンサールー・ブードロー、キングマンのリグレー・フィールドでの大ホームランを称して。
  • 「彼の人間性、守備的欠陥、そして高い三振率は"コング"が7つものチームでプレーした理由だ……。彼より高く遠く飛ばす人は誰もいない。」―ザンダー・ハランダー、1985年。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1971 SF 41 128 115 17 32 10 2 6 64 24 5 0 0 3 9 0 1 35 2 .278 .328 .557 .885
1972 135 531 472 65 106 17 4 29 218 83 16 6 0 4 51 2 4 140 9 .225 .303 .462 .765
1973 112 351 305 54 62 10 1 24 146 55 8 5 1 2 41 3 2 122 8 .203 .300 .479 .779
1974 121 393 350 41 78 18 2 18 154 55 8 8 2 1 37 2 3 125 8 .223 .302 .440 .742
1975 NYM 134 543 502 65 116 22 1 36 248 88 7 5 1 2 34 5 4 153 13 .231 .284 .494 .778
1976 123 510 474 70 113 14 1 37 240 86 7 4 0 3 28 4 5 135 11 .238 .286 .506 .792
1977 58 228 211 22 44 7 0 9 78 28 3 2 0 1 13 3 3 66 3 .209 .263 .370 .633
SD 56 187 168 16 40 9 0 11 82 39 2 3 2 3 12 1 2 48 3 .238 .292 .488 .780
CAL 10 39 36 4 7 2 0 2 15 4 0 0 1 0 1 0 1 16 0 .194 .237 .417 .654
NYY 8 27 24 5 6 2 0 4 20 7 0 1 0 0 2 0 1 13 0 .250 .333 .833 1.166
'77計 132 481 439 47 97 20 0 26 195 78 5 6 3 4 28 4 7 143 6 .221 .276 .444 .720
1978 CHC 119 448 395 65 105 17 4 28 214 79 3 4 2 6 39 8 6 111 3 .266 .336 .542 .878
1979 145 589 532 97 153 19 5 48 326 115 4 2 0 8 45 7 4 131 7 .288 .343 .613 .956
1980 81 280 255 31 71 8 0 18 133 57 2 2 0 4 21 3 0 44 10 .278 .329 .522 .851
1981 NYM 100 412 353 40 78 11 3 22 161 59 6 0 1 2 55 7 1 105 9 .221 .326 .456 .782
1982 149 607 535 80 109 9 1 37 231 99 4 0 3 6 59 9 4 156 11 .204 .285 .432 .717
1983 100 273 248 25 49 7 0 13 95 29 2 1 1 1 22 1 1 57 2 .198 .265 .383 .648
1984 OAK 147 613 549 68 147 23 1 35 277 118 2 1 0 14 44 8 6 119 7 .268 .321 .505 .826
1985 158 666 592 66 141 16 0 30 247 91 3 2 2 8 62 6 2 114 17 .238 .309 .417 .726
1986 144 604 561 70 118 19 0 35 242 94 3 3 0 7 33 3 3 126 16 .210 .255 .431 .686
MLB:16年 1941 7429 6677 901 1575 240 25 442 3191 1210 85 49 16 75 608 72 53 1816 139 .236 .302 .478 .780
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1973 SF 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 21 4 3 0 6 0 0 4 2 0 4 4 9.00 2.25
MLB:1年 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 21 4 3 0 6 0 0 4 2 0 4 4 9.00 2.25

年度別守備成績

投手守備


投手(P)












1973 SF 2 0 0 0 0 ----
MLB 2 0 0 0 0 ----
内野守備


一塁(1B) 三塁(3B)
























1971 SF 20 149 9 3 9 .981 -
1972 56 402 20 5 39 .988 59 54 138 14 10 .932
1973 46 259 17 4 23 .986 60 54 129 18 7 .910
1974 91 680 60 13 66 .983 21 9 38 12 3 .797
1975 NYM 58 386 38 5 36 .988 12 6 28 3 1 .919
1976 16 91 8 0 11 1.000 -
1977 17 112 8 1 6 .992 -
SD 13 92 11 1 4 .990 2 3 2 1 0 .833
CAL 8 70 5 2 5 .974 -
'77計 38 274 24 4 15 .987 2 3 2 1 0 .833
1978 CHC 6 56 2 2 4 .967 -
1980 2 16 2 1 0 .947 -
1981 NYM 56 462 31 13 39 .974 -
1982 143 1232 69 18 88 .986 -
1983 50 443 28 3 43 .994 -
1984 OAK 9 55 2 0 3 1.000 -
1985 9 50 1 0 3 1.000 -
1986 3 17 0 2 2 .895 -
MLB 603 4572 311 73 381 .985 154 126 335 48 21 .906
外野守備


左翼(LF) 右翼(RF)
























1971 SF 7 9 0 0 0 1.000 7 10 0 1 0 .909
1972 22 42 1 3 0 .935 -
1974 1 0 0 0 0 2 7 0 0 0 1.000
1975 NYM 68 125 4 6 0 .956 3 5 0 0 0 1.000
1976 5 7 0 1 0 .875 106 194 10 8 0 .962
1977 26 41 0 1 0 .976 20 36 0 1 0 .973
SD 28 48 3 2 1 .962 1 0 0 0 0
CAL 2 3 0 0 0 1.000 -
'77計 56 92 3 3 1 .969 21 36 0 1 0 .973
1978 CHC 100 173 8 4 2 .978 -
1979 139 239 11 11 3 .958 -
1980 61 105 7 7 0 .941 -
1981 NYM 48 84 4 7 0 .926 -
1983 - 5 7 0 0 0 1.000
MLB 507 876 38 42 6 .956 144 259 10 10 0 .964
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 45(1971年 - 1972年途中)
  • 26(1972年途中 - 1977年途中、1981年 - 1983年、1986年途中 - 同年終了)
  • 10(1977年途中 - 同年途中、1978年 - 1980年、1984年 - 1986年途中)
  • 48(1977年途中 - 同年終了)

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ジェフ・リアドン  フランク・タナナ  デーブ・キングマン  ブルック・ジャコビー  ティム・キーフ
ニューヨーク・ヤンキースの選手 ジェフ・リアドン  フランク・タナナ  デーブ・キングマン  ケニー・ロフトン  ダン・ミセリ
ニューヨーク・メッツの選手 ジェフ・リアドン  フランク・タナナ  デーブ・キングマン  モー・ボーン  カルロス・デルガド
シカゴ・カブスの選手 アーニー・バンクス  ジェフ・リアドン  デーブ・キングマン  ケニー・ロフトン  エリック・キャロス
オークランド・アスレチックスの選手 ミッキー・テトルトン  ジョー・ナックスホール  デーブ・キングマン  ブルック・ジャコビー  マーク・ホージマー
サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 フレッド・ルイス  フリアン・タバレス  デーブ・キングマン  ティム・キーフ  ケニー・ロフトン
サンディエゴ・パドレスの選手 レジー・サンダース  モーガン・エンスバーグ  デーブ・キングマン  ダン・ミセリ  ロン・ガント
ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 ジョー・ナックスホール  フランク・タナナ  デーブ・キングマン  マーク・ホージマー  モー・ボーン

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