テレビ大阪開局支援
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MBSテレビがネットチェンジする前は、NETと東京12チャンネルのクロスネット局としてMBSは両系列に番組を供給していた(ただしニュースはNETのみ)。ネットチェンジ後も東京12チャンネル取締役を兼務していた上司の高橋信三が関西地区の東京12チャンネル系列局開設に向けて支援を行っていたが、1980年1月に高橋は急逝。高木は高橋の後任として上司の坂田と共に郵政省や関西財界への折衝にあたり、1980年11月に東京12チャンネル改めテレビ東京初の系列局となるテレビ大阪(TVO)の放送免許交付に漕ぎ着ける。その後、1982年(昭和57年)3月1日にテレビ大阪は開局したが、高木はMBSがテレ東の大株主で坂田がテレビ東京取締役ということもあり、テレビ大阪に最大級の支援を決断する。 詳細は「TXNネットワーク#ネットワークの形成」を参照 「毎日放送#毎日放送が株式を保有している放送局」および「高橋信三#テレビ東京支援と相次ぐ打ち切り事件」も参照 開局6ヶ月前の1981年(昭和56年)10月、MBSテレビはTVOの受信にUHFアンテナが必要なので設置するよう呼びかけるスポットCMを制作し放送する。1982年に入ると、開局直前であることを知らせるCMも放送した。また、TVOが新規に採用した社員の研修もMBS千里丘放送センターで受け入れた。 詳細は「テレビ大阪#開局直前の局CMに関して」および「在阪テレビジョン放送局#在京放送局(キー局)との関係」を参照 開局と同時に、ネットチェンジ後もMBSテレビが番組購入扱いで放送していた番組をTVOに移管させた他、子会社で『真珠の小箱』などを手掛けていた放送映画製作所を通じてTVO制作番組の外注を請け負った。高橋時代の23時ショー打ち切り事件でMBSでは放送できなくなっていたお色気番組も、TVOに流すことができた。 「放送映画製作所#主な製作番組など」も参照
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