ツラギ空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:18 UTC 版)
5月4日朝、日本海軍のツラギ上陸を察知したフランク・J・フレッチャー少将は艦隊を北上させ、空母ヨークタウンからツラギに向け攻撃隊が発進した。この日ヨークタウンからは4波による攻撃がなされ「軽巡洋艦1隻、水上機母艦1、駆逐艦2、輸送船2、砲艦4隻」を攻撃して「駆逐艦2隻、貨物船1を撃沈、軽巡洋艦1隻大破着底、水上機母艦1、駆逐艦、貨物船1隻が損傷」と報告した。実際の戦果は、駆逐艦菊月および掃海艇3隻を撃沈、敷設艦沖島と駆逐艦夕月が至近弾と機銃掃射によって小破(夕月は艦長戦死)、神川丸の零式観測機2機を喪失した。ヨークタウン側はF4Fワイルドキャット戦闘機2機不時着・TBDデバステーター雷撃機1機を失い、SBDドーントレス急降下爆撃機6機、TBD雷撃機2機が損傷した。この他に神川丸の戦闘詳報によれば、零式観測機がPBYカタリナ飛行艇を撃墜したが、索敵中の水上偵察機2機を喪失した。 第四艦隊司令部はMO機動部隊に「為し得れば速にツラギの掩護機を出すべし」と催促したが、ラバウル空輸で時間を浪費したため南方へ向かうヨークタウンを捕捉することは不可能だった。だが、連合艦隊司令部はミッドウェー作戦の検討で多忙であり、第四艦隊も作戦計画を再検討する必要性を認識しておらず、5月4日にMO攻略部隊をラバウルから出撃させた。MO機動部隊や陸上基地から発進した陸上攻撃機や飛行艇がアメリカ軍機動部隊を索敵したが発見できず、日本軍は米空母が南方に避退したと考え始めた。だが5日には横浜海軍航空隊の九七式飛行艇(浦田大尉機)がヨークタウンの戦闘機隊によって撃墜されている。さらに悪天候のため、妙高と羽黒の零式水上偵察機の回収に失敗し、2機とも使用不能になった。
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