チェルニャコヴォ文化
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チェルニャヒーウ文化(チェルニャコヴォぶんか)ないしチェルニャホフ文化(チェルニャホフぶんか、ウクライナ語:Черняхівська культура;英語:Chernyakhiv culture[1]ないしCherniyakhov culture)は2世紀から5世紀にかけて黒海の北西一帯(現在のウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ポーランド南部)にかけて広がっていた文化。名称は、キエフ州チェルニャヒーウ村で発見された遺跡にちなむ。これまでに数千の遺跡が発掘されている。もとはサルマタイ人とスラヴ人の混合文化であったが、のちにダキア人、ゲタイ人、ゴート人などがやってきて定住した。
- ^ Denis Sinor. The Cambridge History of Early Inner Asia: vol 1. - 1990 - p. 115.
- 1 チェルニャコヴォ文化とは
- 2 チェルニャコヴォ文化の概要
- 3 脚注
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