ズヴェノーSPB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/10 05:48 UTC 版)
「ズヴェノー (航空機)」の記事における「ズヴェノーSPB」の解説
1937年7月に初飛行。計画自体は1934年から進められていた。ツポレフ TB-3を母機として2機のポリカルポフ I-16を左右の主翼下側に装着したもの。このI-16はI-16 SPBと呼ばれる急降下爆撃機タイプで、通常のI-16では離陸不可能な重量の爆弾(250kg爆弾×2発)を搭載した子機を、母機から空中発射して運用する思想のものである。行動範囲が広く、強力な攻撃力を持つ急降下爆撃機システムとして第二次世界大戦初期に黒海沿岸のクリミア半島西部に配備され、実戦に投入された。 1941年7月26日には、枢軸国側に付いたルーマニアの黒海に面した港湾都市コンスタンツァに施設されていた石油パイプラインへの攻撃にズヴェノーSPBが投入され破壊に成功した。同年8月にはコンスタンツァへの物資供給ラインであった鉄道のドニエプル川に架かる鉄橋への攻撃に投入され、こちらでも戦果を挙げた。 ズヴェノーSPBはこのようにある程度成功したプロジェクトであったが、1942年頃になるとドイツ軍の航空優勢に対してズヴェノーSPBの防御力が低く損失が懸念され、作戦投入は中止された。ズヴェノーSPBは運用停止されるまでに29回ないし30回程度の作戦投入が行われたとされる。
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