スワヒリ都市の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:02 UTC 版)
スワヒリ都市の起源について、キルワやザンジバルにはシラージ人というペルシャからの移民を名乗る人々が在住していることや『キルワ年代記』から、移民によるという外因説が従来強かった。外因説では外来のアラブ人やペルシャ人がこの地にスワヒリ都市を建設し、自らの文化を移植しスワヒリ文化を作りあげたとする。 一方近年では、現地起源説(内因説)が主張されだしている。北ケニア沿岸部に住む諸民族は自分たちの起源を「シュングワヤ」に求めていることや、モンバサやキルワのシラージ人の氏族の中にも同様の伝承をもっていることから、シラージにしても「シュングワヤ」でバントゥーと同化した人々がさらに南下したのだという。その場合、現地社会の文化を基層文化とした上で、それが発展し外来文化を受容した結果がスワヒリ文明だとする。シーラージ伝承は史実その物ではなく、イスラム化したアフリカの社会においてしばしば見られる支配の正統化するためにペルシャ系譜を名乗る例の一つであり、実際に10世紀のスワヒリ地方沿岸部の集落の発掘によって、その住人がバントゥー系の農耕民であったことが判明している。また考古学的にも黎明期のスワヒリ都市にペルシャ語の碑文などが発掘されていない。文化面についても、外来文化とされる石造建築の建築様式はアラブ建築に類例がなく、現地社会の小屋と構造が似ていることを内因説の根拠としている。 18世紀以降、オマーン出身のアラブ人たちや内陸の諸民族もスワヒリ化していったと考えられている。
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