スワヒリ文化の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:02 UTC 版)
スワヒリ文化の構成要素として重要なのは、イスラームとスワヒリ語である。その担い手であるアラブ系民族とバンツーは4世紀以前に到達していたが、6世紀に誕生したイスラームの教えは7世紀末には東海岸に到達し、スワヒリ語もその原型は10世紀ごろにはできていたと考えられている。9世紀の旅行家アル・マスウーディーが収録した語句の中の「ワクリミ wqljmj」は現代のスワヒリ語で王を意味するmfalmeと同じと考えられている。10世紀の『キルワ王国年代記』には、王のあだ名として「Nguo nyngi(服を多く身にまとったもの)」「Mkoma Watu(人を殺すもの)」という現代スワヒリ語で解釈可能な語形が見られる。 スワヒリというアラビア語で「海岸、水辺、河畔、緑辺」という意味の「サワーヒル sawahil」に由来する語を、この地に対して最初に使ったのは14世紀の旅行家イブン・バットゥータの「三大陸周遊記」である。ただしバットゥータが「スワヒリ人の土地」としたのはペンバ島かザンジバル島、もしくはモンバサ周辺の限られた土地であった。
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