スターリンの素早い支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 12:56 UTC 版)
日中間に全面戦争が始まると、スターリンはすぐに動いた。8月21日には蒋介石の南京政府と中ソ不可侵条約を締結し、蒋介石に対する武器の供給を開始している。ソ連からは武器購入代金として2億5千万米ドルが渡され、航空機千機、戦車、大砲が売却され、ソ連空軍の派遣も大規模に行われた。ソ連政府はおよそ300人の軍事顧問団を中国に派遣した。最初の顧問団長は中国語に通じ、後にスターリングラード戦の英雄となったワシーリー・チュイコフ大将である。以後4年間、中国に入る重火器、大砲、航空機の供給はソ連からのみとなったほど、ソ連はライフルの生産しか行われていない中国にとっての最大の武器供給国であり続けた。軍事行動における支援においても例えば1937年(民国26年)2月から1939年(民国28年)末にかけて日本軍と交戦するために2千人以上のソ連軍パイロットが中国で戦い、およそ1000機の日本機を撃墜し、日本が支配した台湾にも爆撃を敢行している。
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