スターリンの役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 04:43 UTC 版)
「1907年チフリス銀行強盗事件」の記事における「スターリンの役割」の解説
スターリンがこの日何をしていたかはよくわかっておらず、意見がわかれている。P. A. パヴレンコという人物によれば、スターリンも馬車の攻撃に参加し、爆弾の破片で負傷したという。カモは後から、スターリンは強盗には加わっておらず、遠くで見ていただけだと言っている。警察の資料によればスターリンは「残酷な殺戮劇を煙草を吸いながら家の中から眺めていた」。また別の資料によればスターリンは実際には鉄道駅にいて広場にはいなかったことになっている。スターリンの義理の姉妹は、彼が強盗があった日の夜に帰宅していて、その成果を家族に語って聞かせたと言っている。 この事件におけるスターリンの役割は、同志であるボリス・ニコラエフスキー(英語版)とレフ・トロツキーからも疑問視されている。スターリンのライバルであり後に暗殺されたトロツキーは、著書の『スターリン』においてチフリスの強盗事件やそれ以外の当時ボリシェビキが行っていた武力行使に関する出版物を様々に比較して「他の人間は戦っていた。スターリンがしていたのは離れたところでの指揮だった」と述べている。またニコラエフスキーによれば、この事件に限らず「カモたちのグループの活動にスターリンが果たした役割は後年に誇張され」ている。一方でクン・ミクローシュは当局の資料を分析して「1904年後半から1905年前半までスターリンが強盗計画の策定に関わっていた」ことは確実であり、チフリス強盗事件を起こした「メンバーの初期計画を〔スターリンが〕袖から操っていたことはもはや明らかだ」と述べている。
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