スズキとのパートナーシップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:20 UTC 版)
「吉村秀雄」の記事における「スズキとのパートナーシップ」の解説
1976年、吉村はウェス・クーリーと契約し、アメリカでのレース活動にカワサキ・Z1で参加していたが、レギュレーションによってフレーム加工が制限されていたことから剛性不足に悩まされていた。エンジンの性能を上げれば上げるほどコーナリングが安定しないという状況であった。そんなある日、吉村は「Cycle」というアメリカのモーターサイクル専門誌に掲載されていた、スズキが初めて開発した並列4気筒の4ストロークエンジンを搭載する、GS750というオートバイに興味をもった。USスズキに問い合わせをしてしばらく経った8月、スズキ側から開発責任者が渡米しているので会ってみないかという提案があった。こうして吉村はサンタフェスプリング(英語版)で横内悦夫と会うことになった。 横内も吉村のことはホンダやカワサキの車両を手掛ける4ストローク専門のチューナーとは知っていたが、スズキが2ストロークしか製造しないため、その程度の接点しかこれまでもたなかった。だが、スズキ初の4ストローク4気筒車として売り出すためにGS750もレースに出場することを前提に開発していたが、人員や経験不足が否めなかったため、吉村に興味を持ったのだった。吉村と横内の間に多くの言葉や契約書はなかったが、お互いの関係はスズキの車両でレースに参加し、スズキのキットパーツの開発にヨシムラが携わるという形で2012年現在においても引き継がれている。
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