ジーン・グレイとフェニックスが別の存在とされるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 01:50 UTC 版)
「X-MEN: ダーク・フェニックス・サーガ」の記事における「ジーン・グレイとフェニックスが別の存在とされるまで」の解説
『X-メン』第137号が刊行される直前に、当時大学生で後にフリーの原作者となるカート・ビュシーク(英語版)はファンの口コミによってその号で起きることを知った。同じく後に業界入りするキャロル・カリッシュ(マーベル社のダイレクト・セールス部門を率いた)とリチャード・ハウエル(代表作は Vision and The Scarlet Witch の作画)も同様だった。3人はまた、マーベル編集長ジム・シューターが、ダークフェニックスが犯した殺戮から免罪される形でない限りジーン・グレイを死から蘇らせてはいけないと明言したことを知った。3人は当時ファンに過ぎなかったが、これを取り組みがいのある創作課題と捉え、それぞれジーン・グレイが復活するシナリオを考え出した。ビュシークの案では、ジーン・グレイは最初の宇宙船事故以来ずっと仮死状態のままジャマイカ湾に沈んでいた。その間活動していたのは、超存在フェニックスがジーンの精神と身体を焦点として作り出した、計り知れない力を持つ複製だった。しかし複製は本体から離れるほど邪悪に呑まれていくのだった。 1983年、フリーの原作者として活動を始めたばかりのカート・ビュシークは、ニューヨーク州イサカのコミックコンベンションに赴き、マーベルの原作者ロジャー・スターン宅に滞在した。会話の内容がともに長年の読者であった『X-メン』の話題に及ぶと、スターンはシューターのお達しを守りつつジーン・グレイを復活させる手立てがないことを残念がった。そこでビュシークはスターンに自身のアイディアを伝えた。ビュシークはその場の会話で終わるものとしか考えていなかったが、スターンは当時『ファンタスティック・フォー』の原作・作画を務めていたジョン・バーンにこのアイディアを伝えた。 1985年、オリジナルのX-メン(ジーン・グレイもその一人)が新たにX-ファクター(英語版)というチームを結成する新シリーズの企画がジム・シューターによって認可された。原作はフリーのベテランであるボブ・レイトンだった。これを知ったバーンはレイトンに連絡を取り、シューターの要求通りにジーンを免罪しながら死から蘇らせる方法としてビュシークのアイディアを伝えた。 『X-ファクター』の発刊を記念して、同誌第1号のほか『アベンジャーズ』と『ファンタスティック・フォー』の計3号にわたるクロスオーバーが企画され、3誌の原作を書いていたスターン、バーン、レイトンらがビュシークのアイディアを基にしたストーリーを作った。ビュシークは誌面上で「Special Thanks」のクレジットを受けた。このときビュシークはマーベル社の『マーベルエイジ・マガジン』でフリーのアシスタントエディターとして働いており、同誌で新シリーズのプロモーションとなる一連のインタビュー記事を手掛けた。
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