ジュバ渓谷連合の成立とキスマヨ統治
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「ジュバ渓谷連合」の記事における「ジュバ渓谷連合の成立とキスマヨ統治」の解説
2000年、欧米やソマリア近隣諸国主導でソマリア再統一の機運が盛り上がり、「ソマリア暫定国民政府」が設立され、3年以内に国政選挙を実施し、正式な新生国家として生まれ変わることとなった。キスマヨを支配する「ソマリ連合軍」は、暫定国民政府に賛同する勢力と反対する勢力に分かれることになった。 ソマリ連合軍の中のマレハン(英語版)、オガデン(英語版)、ハバー・ギディル(英語版)といった氏族は、暫定国民政府に賛同し、バレ・アダン・シレ・ヒラーレ(英語版)(マレハン氏族)を議長、ユスフ・ミレ・セラー(ハバー・ギディル氏族)を副議長とした「ジュバ渓谷連合」という軍閥を組織した。 一方、暫定国民政府に反対するフセイン・アイディード(アイディード将軍の息子、ハバー・ギディル氏族)は、いくつかの軍閥をまとめ上げ、軍閥ソマリア和解再生評議会(英語版)を結成した。ラハンウェイン氏族は軍閥ラハンウェイン抵抗軍を結成し、しばらくは中立を保っていたが、やがてソマリア和解再生評議会に合流した。 2001年6月18日、ジュバ渓谷連合は正式に暫定国民政府への参加を表明し、キスマヨに11名の氏族間評議会を設立したことを発表した。これら11名は、この付近の11の「主要氏族」の代表者だった。この時、キスマヨ市長にMuhammad Dahir Ilmiが、警察長官にAli Ilmi Mogeが任命された。 2001年8月6日、ジュバ渓谷連合は、ソマリア和解再生評議会が支配するキスマヨよりさらに南部の港町ジリブ(英語版)を、戦闘で奪取した。2002年2月、キスマヨの北西にある町バルデラで、ジュバ渓谷連合とアイディードの軍閥との戦闘が発生している。2002年5月、国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)は、ソマリア南部ではジュバ渓谷連合、アイディードの軍閥、モルガン将軍の軍閥が三つ巴であることを報じている。2002年10月のNew Humanitarianの報道によると、ジュバ渓谷連合は「キスマヨとジュバ渓谷の大部分を支配する」として紹介されている。New Humanitarianは議長のバレ・アダン・シレ・ヒラーレにインタビューし、ヒラーレは「ジュバ渓谷連合とラハンウェイン抵抗軍とに対立関係があるとの説があるが、誤解である」と述べている。 2003年8月から9月にかけて、ジュバ渓谷連合はキスマヨで、治安安定を図ってジュバ渓谷連合以外が持つ銃器の買い上げ作業を行った。 2004年4月、暫定国民政府は失敗に終わり、今度は連邦制国家の設立を目的としてソマリア暫定連邦政府が設立された。暫定国民政府の勢力はおおむねが暫定連邦政府に参加することになり、ジュバ渓谷連合もまた暫定連邦政府に参加した。暫定連邦政府はジュバ渓谷連合議長のヒラーレに、暫定連邦政府の内閣に参加するよう呼びかけたが、ヒラーレはそれに対しては拒絶。 2004年9月、カタールの報道機関アルジャジーラは、ジュバ渓谷連合を「キスマヨとその周辺地域を支配する組織」として説明し、同月にジュバ渓谷連合とモルガン将軍の軍閥との戦闘が行われたことを報じている。 ジュバ渓谷連合議長のヒラーレは、ソマリア暫定連邦政府の「再建および再定住大臣」に任命される。
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