ジュバ渓谷連合内部の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 01:30 UTC 版)
「ジュバ渓谷連合」の記事における「ジュバ渓谷連合内部の対立」の解説
先述した通り、ジュバ渓谷連合はマレハン(英語版)、オガデン(英語版)、ハバー・ギディル(英語版)といった氏族の連合部隊だったが、その内情は複雑だった。 ソマリア南部には元々オガデン(英語版)氏族が多く、マレハン(英語版)氏族やハバー・ギディル(英語版)氏族はソマリア北部を中心とした氏族だった。このため、ジュバ渓谷連合の主力であるマレハン、ハバー・ギディルを「よそ者」と見る風潮もあった。また、ソマリア南部では軍閥が乱立したため、その権威が下がり、地元住民は次第に軍閥を軽視するようになっていった。また、軍閥に属する民兵による、レイプなどの犯罪事件が多発するようになった。 その一方で、ジュバ渓谷連合は地元のオガデン氏族を敵だとは認識していなかったため、ソマリア最南部の軍閥ラスカンボニ軍に属するオガデン氏族の兵士がキスマヨなどにも出入りするようになった。これが後にラスカンボニ軍に敗れる遠因となった。 2005年、ジュバ渓谷連合幹部の一人アブディ・エガルの部隊が、ヒラーレ議長率いる主力部隊と衝突事件を起こし、後に和睦している。その後にアブディ・エガルは暫定連邦政府に逮捕されたが、ヒラーレ議長はそれに対しては抗議している。 2006年1月、アブディ・エガルの部隊とヒラーレ議長率いる主力部隊は再び戦闘となったが、この時はアブディ・エガルの部隊が敗北している。この際はMohamed Roble Jim'aleがヒラーレ側の指揮官として活躍している。 ソマリア暫定連邦政府は、ソマリ人だけではソマリアの治安維持が困難と考え、政府間開発機構、つまり外国の軍を受け入れることを表明した。それに対してジュバ渓谷連合は反発し、2006年1月、ジュバ渓谷連合は方針を変え、暫定連邦政府から離脱して独自の自治州を作ることになったと報じられている。 2006年8月21日、ジュバ渓谷連合議長のヒラーレは、アリー・ムハンマド・ゲーディ首相に防衛大臣に任命された。ヒラーレは8月のBBCによるインタビューには「私はジュバランドという国を作りたく、暫定連邦政府と交渉中である」と答えている。なお、同年9月にはヒラーレは「ジュバ渓谷連合の元議長」と報じられている。
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