ジェイン・ドウ・88事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:01 UTC 版)
「ロス疑惑」の記事における「ジェイン・ドウ・88事件」の解説
1979年5月4日に、ロサンゼルス郊外で身元不明のミイラ化した「東洋系」女性の遺体が発見された。この遺体は当初は「身元不明の88人目の女性遺体」ということで「ジェイン・ドウ・88(Jane Doe 88)」と呼称されていた(米国では身元不明、もしくは匿名の男性を「John Doe」、女性を「Jane Doe」と呼ぶ慣わしがある)。 1984年3月29日に歯型による遺体照合により身元が確認された。女性は1979年に行方不明になっていた女性Dであり、Dには夫がいたが三浦と1977年から交際していた。1978年2月には三浦の経営する会社の取締役に就任、同年6月から2人は同棲し、翌1979年3月にDが夫と正式離婚。その後「北海道に行く」とDは言い残し行方不明になっていた。3月29日、ロサンゼルスにDの入国記録があり、ホテル・ホリディイン・ハリウッドに宿泊していた。三浦は3月27日にロサンゼルスに入り、4月6日に帰国した。 三浦は、Dの口座に5月8日に振り込まれた前夫からの慰藉料である426万円を、5月18日から6月12日までに計42回にわたり引き出していた。後日、三浦はDに金を貸しており、「アメリカ(合衆国)から送られてきたDのキャッシュカードを使い、自分で引き出して返してもらっただけ」と供述した。 この事件も妻A殺害事件と同じくマスコミに嫌疑にかけられ、「もう一つのロス疑惑」として報道されたが、証拠不十分のため日本では三浦は立件されなかった。ところが米国捜査当局は三浦が自殺する直前にD殺人容疑で訴追、再逮捕する方針を固めていたことを現地時間2009年1月10日に元捜査官が明らかにした。 元捜査担当者によると、DNA鑑定のような新たな証拠が発見されたわけでなく、Dの渡米理由が三浦に会いに行くこと以外に考えられない、三浦が被害者の銀行口座から合計426万円を引き出していたことなど8点を指摘。状況証拠に基づき三浦の単独犯行と断定。三浦が死亡する直前の段階で死刑求刑が可能な第1級殺人と窃盗容疑で近く逮捕状を請求する方針を固めており、捜査トップにも報告していた。もし訴追されたとしても裁判所が起訴を認めたかどうかは不明である。 ロサンゼルス市警は1月14日に記者会見し、三浦がDを殺害した容疑者だったと結論づける捜査結果を公式に発表した。三浦の弁護側はロサンゼルス・タイムズ紙に「死人に鞭打つとは滅多にない話だ」とコメントしている。
※この「ジェイン・ドウ・88事件」の解説は、「ロス疑惑」の解説の一部です。
「ジェイン・ドウ・88事件」を含む「ロス疑惑」の記事については、「ロス疑惑」の概要を参照ください。
- ジェインドウ88事件のページへのリンク