シートン電気軌道の開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/27 05:09 UTC 版)
「シートン電気軌道」の記事における「シートン電気軌道の開業」の解説
1960年代のイギリス国鉄は収支改善を目的に各地の不採算路線を廃止するビーチング・アックス政策を推し進め、その中でウェスト・オブ・イングランド本線(英語版)から分岐しシートンへと延びていたシートン支線も自動車の普及で乗客が減少したため1966年3月をもって廃止された。これを受け、クロードはこの廃線跡を活用し新たな電気鉄道を敷設する計画を立てた。 イギリス国鉄など行政との交渉は難航したものの1969年12月に新規路線敷設の許可を所得し、同年から翌1970年にかけてクロードはアシスタントのアラン・ガードナー(Allan Gardner)と2人がかりでイーストボーンで活躍していた車両をシートンへと移動した。そして1970年8月28日、シートン電気軌道が開業した。 ただし当初はシートン~ボブスワース橋間までの運行で架線電化もなされていない状態であり、車両には蓄電池を備えた付随車が連結されていた。そのため、翌月以降一時路線を閉鎖した上でコリフォードまでの路線延長や架線電化などの工事を行う事となった。だが1971年4月2日、その工事の完了を見る事なくクロード・レーンは心臓発作によりこの世を去った。
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