シンガーソングライターとしてデビュー
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「広瀬香美」の記事における「シンガーソングライターとしてデビュー」の解説
そして帰国後、多数のレコード会社にデモテープを送付、そのデモテープがビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)のプロデューサー田村充義の目に止まり、同社から作曲家に留まらず、シンガーソングライターとしてのデビューが決定した。 1992年7月、アルバム『Bingo!』でデビュー、同年12月には1枚目のシングル「愛があれば大丈夫」をリリースした。2枚目のシングルも出したものの、新曲リリースについて所属事務所とレコード会社は乗り気ではなかった。そこで、スキー用品店「アルペン」が費用を折半する形で制作に着手、広瀬を再度売り出すことにした。 翌1993年に、アルペンのCMソングになった3枚目のシングル「ロマンスの神様」は、オリコンチャートで約175万枚の大ヒットとなりブレイクした。上記のような経緯から、アルペンがCMタイアップの9割を占めるようになり、それ以降タイアップ効果も伴い、「幸せをつかみたい」「ゲレンデがとけるほど恋したい」「promise」など数々のヒット曲を生み出す。 冬にヒットする曲が多いことから「冬の女王」とも呼ばれるが、ヒットした曲が多いアルペンのCMソングやウインターソングなどは実は一年中温暖なロサンゼルスで書いている。また、本人はウインタースポーツも全くせず、これら冬の曲を作るのは大変だったということで、部屋中に雪の風景の写真集を広げたり、舞台が冬の映画を観たり、冷房を強めにして寒さを体感しながら曲を書いたという。夏の方が身近なロサンゼルスに住んでいれば、冬が特別な季節に感じられるとも話している。ちなみに広瀬は、自身のシングル「夏だモン」や広末涼子に提供した「summer sunset」など夏の曲も相当数書いている。 教育現場においては、1999年、独自のメソッドを提唱するヴォイス・トレーニングやヴォーカル・レッスンを行う「Do Dream」を開校、自ら校長を務めていた。また母校と同系列校である福岡女学院大学で客員教授としても教鞭を執っている。
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