ショートホーン種の創出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 07:50 UTC 版)
「コリング兄弟」の記事における「ショートホーン種の創出」の解説
はじめ、コリング兄弟はベイクウェルの行う近親交配には懐疑的だったという。しかしあるとき、ハバック号(後述)という種牛を交配するとき、誤って近親交配を行ってしまった。ところがそこから優れたウシが生まれてきたので、コリング兄弟はベイクウェルの手法の「熱狂的な信奉者」になった。 コリング兄弟は地元の在来ウシの改良にベイクウェルの手法を取り入れた。ダーリントンの町はダラム地方のティーズ川(River Tees)のほとりにあり、彼らが改良につかった地元の在来種は「ティーズウォーターの在来種」とか「ダラムの在来種」などのように呼ばれる場合もある(これらは、当時いわゆる品種登録によって確立された品種ではない)。これらの在来種は、元をたどれば古代にローマ人が持ち込んだウシや、中世にノルマン人が持ち込んだウシ、さらにオランダから入ったウシなどの雑種だったと考えられており、個体ごとの差異が大きく、1つの品種といえるような共通の特性を持っていなかった。後世の改良種と比べると、外観もバラバラだったと伝えられている。 兄弟はこうした在来種から望ましい形質を備えたウシだけを選抜し、30年かけて徹底的に近親交配を繰り返した。コリング兄弟の農場のウシは、従前に比べて産肉量が倍ぐらいになり、牛乳は泌乳量こそやや低下したが、栄養価は大きく高まった。兄弟の生産するウシは19世紀のはじめ頃から注目されるようになり、とりわけ1810年に彼らがセリに出した雄牛は、ウシ1頭の値段としては史上初めて1000ギニーの値がついて記録を作った。この雄牛は「コメット号(Comet)」といい、「伝説的な名種牛」になった。現在のショートホーン種はすべてこのコメット号の血を受け継いでおり、サラブレッドにおける三大始祖の3頭を合わせた影響力があるとされている。 コリング兄弟が生産したウシは、イングランド中の畜産家が争って買い求めた。大手の畜産家には多くの貴族が含まれていて、彼らは絵描きに金を払って入手したウシの肖像画を描かせている。こうしてコリング兄弟のウシはあっという間に全土に広まっていった。コメット号以外のウシも続々と高値で売れて、兄弟は商業的にも大きな成功を収めた。 兄弟が生産したウシは「コリング畜牛群」などと呼ばれていたが、そのうち「ショートホーン種」という呼び名になった。これは彼らの師であるベイクウェルが生産したロングホーン種と比較して角が短いのでつけられた名前だが、実際のところショートホーン種の角の長さはウシとしては平均的なものである。1822年にはショートホーン種の血統書が刊行された。これは家畜の血統書としては、ウマのサラブレッド種に次いで世界で2番めのものである。純粋品種としてのショートホーン種の「始祖」はコメット号だとされている。
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