シャトルミール・ISS・ハッブル補修
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「スペースシャトル計画」の記事における「シャトルミール・ISS・ハッブル補修」の解説
その後、シャトルは90年代初頭のシャトル・ミール計画や ISS 建設などに駆り出され再び多数の飛行を行った。シャトル・ミール計画はアポロ・ソユーズテスト計画以来となる米露共同での宇宙計画遂行となり、大量の物資輸送のためのシャトル用のモジュール、スペースハブが開発されている。また、アメリカのシャトルにロシア人宇宙飛行士が乗り込む光景も見られた。なお、コロンビアは旧型で重量が重く軌道を合わせることができないために、シャトル・ミール用のミッションには参加できていない。シャトル・ミール計画に続く ISS 計画ではプロトンKとともにステーションの主要区画を輸送するための重要な輸送機として利用された。また、米露以外は有人宇宙飛行能力を持たないため、ロシア以外では唯一の人員輸送可能打ち上げ機であり、多数のクルーを輸送することにも向いていたため、ESAやJAXAの宇宙飛行士も乗せて、多くの回数にわたって利用された。 他国との協力も行われ、実験などを目的に各国の宇宙飛行士がシャトルに乗って宇宙に到達している。1992年の9月12日には日本がシャトルのスペースラブで実験を行うこととなり、毛利衛が日本人として初めてシャトルに搭乗している。その後も多くの日本人宇宙飛行士がスペースシャトルを利用している。 また、1993年12月にはハッブル宇宙望遠鏡に対する修理・長寿命化を目的としたサービスミッションが行われている。老化したハードウェア交換により運用寿命を伸ばし、新型科学装置の導入によって科学的能力を増大させることを目的にして行われた。これ以降もハッブルに対し 4 回にわたってサービスミッションを行っている。
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