コートジボワールにて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:54 UTC 版)
「フィリップ・トルシエ」の記事における「コートジボワールにて」の解説
かつてフランスのクラブでプレーしていたチャド人のナンバティング・トコ(フランス語版)の紹介により、1989年12月にコートジボワールのASECミモザ・アビジャン監督に就任した。選手たちが「甘やかされている」と感じたトルシエは、遅刻禁止、食事管理の徹底をはじめとする厳しい規律をクラブにもたらし、不敗のまま3シーズン連続(1990、1991、1992)の国内リーグ優勝、1990年に国際大会UFOAカップ(英語版)優勝に導いた。トルシエの常軌を逸した行動や発言は地元の人々の関心を集め、ジャーナリストたちに数多くの話題を提供した。この時期に彼は「白い魔術師」(または「白い呪術師」。フランス語:sorcier blanc、英語:white witch doctor)として知られるようになった。 アフリカチャンピオンズカップ1992(英語版)準決勝のWACカサブランカとの試合にて、トルシエはクラブで最大のスター選手だったアブドゥライ・トラオレ(英語版)を先発メンバーから外して、代わりに若手選手を起用して臨んだが、敗れて決勝進出を逃すことになった。それによってトルシエは一転して激しい批判にさらされた。 1993年4月、トルシエは1994 FIFAワールドカップ出場を目指すコートジボワール代表の監督に就任した。またトルシエはそれに先立ってコートジボワールの国籍も取得した。 1993年8月、トルシエ率いるコートジボワール代表は無敗でワールドカップ・アフリカ予選グループAの首位だったにも関わらず、その態度が問題視されてサッカー協会から解雇された。メディアとサポーターはトルシエを支持した。トルシエ退任後のコートジボワール代表は、ナイジェリア代表に敗れてワールドカップ本大会出場を逃した。 その後、1ヵ月という短期間だけブルキナファソのエトワール・フィラント・ドゥ・ワガドゥグ(英語版) (EFO) の監督を務めた。
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