コーチング経験
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1955年から1956年にかけてウィッテイア大学でGraduate Assistantの立場でクロスカントリーと陸上競技のコーチを始める。その後兵役に就き西ドイツ駐留中(1956-1958)の第85歩兵連隊、第10師団で各々陸上競技の指導をした(1957)。所属した連隊、師団の優勝に貢献した。名誉除隊後、ブエナ・パーク高校(Buena Park High School 1958-1961)で陸上競技部監督、アメリカンフットボールのランニングバックコーチに就任した。また教員として理科、健康教育、体育、Driving(安全教育)などの科目を教えた。1961年からフラートン短期大学のクロスカントリー および陸上競技部専任監督に就任した。在任中に南カリフォルニア短期大学対校陸上競技選手権大会(Southern California Jr. Collegiate Track and Field Champion ships)をはじめ州のイースタン・カンファレンスでクロスカントリー2回、陸上競技で各々3回優勝を成しとげた。1968年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(University of California, Los Angeles)からの要請によりフィールドコーチに就任した。当時のUCLAはパシフィック8カンファレンス(日本の東京六大学のようなもの)に所属していた。ちなみに現在はパシフィック12カンファレンスとなっている。フィールドコーチとしてパシフィック8、NCAA(National Collegiate Athletic Association)で活躍した選手を育てた。その中でも棒高跳のマイク・タリー(Mike Tully)、ロサンゼルスオリンピック (1984年) での銀メダリストらをはじめ、三段跳で世界新記録17m97を樹立したウィリー・バンクス(Willie Banks)、他の種目では砲丸投でカリフォルニア州高校新を出したシム・ネイハート(Jim Neidhart)らを指導した。1976年ヒューストン大学(英語版)男子・女子陸上競技部、クロスカントリー部監督に就任。22シーズンの在任中には多くのタイトルをもたらした。また1991年世界陸上競技選手権大会(東京)では、アメリカ代表のヘッドコーチを務めた。
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