コントロール・データ・コーポレーション時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 02:34 UTC 版)
「シーモア・クレイ」の記事における「コントロール・データ・コーポレーション時代」の解説
1950年に、クレイはミネソタ州セントポールで、エンジニアリング・リサーチ・アソシエーツ (ERA) 社に就職した。ERAの前身は、暗号解読マシンを開発したアメリカ海軍の研究グループであり、要請があればその手の仕事も請け負っていた。クレイは、即座にデジタルコンピュータ技術についてのエキスパートとなり、最初の商業的に成功した科学技術計算用コンピュータ ERA 1103 を設計した。1950年代の初期に ERA が レミントンランド社、さらにスペリー社によって買い取られた時も彼はERAに残っていた。新たにスペリーランド社が結成され、ERAはそのUNIVAC事業部門の「科学技術コンピューティング」部門になった。 しかし1957年、科学技術コンピューティング部門が段階的に廃止されると、多くの従業員は退職しコントロール・データ・コーポレーション (CDC) 社を立ち上げた。クレイもそれにすぐに続きたかったのだが、海軍向けのプロジェクトに参加していてまだ完了していなかったため、ウィリアム・ノリスはクレイの参加を断っている。ただし、同時にノリスはクレイとのよい関係を維持したいとも思っていた。そのプロジェクト Naval Tactical Data System(海軍戦術データシステム)は翌年早くに完了し、クレイは即座に退職して CDC に移った。1960年、彼は CDC 1604 の設計を完了した。これは、ERA 1103 を改良して価格を低減したもので、その価格帯ではずば抜けた性能を誇っていた。 CDC 1604が1960年に出荷されようとしていた頃、クレイはその後継の CDC 6600 の設計に取り掛かっていた。ハードウェアの面で 6600 は最先端ではなかったが、クレイは可能な限り高速化するよう注力した。多くの最高レベルのプロジェクトと違って、クレイは性能は単にプロセッサの速度だけで決まるのではないと気づいた。つまり、プロセッサに対して処理すべきデータを途切れずに供給するように入出力の帯域幅を最大化する必要があった。彼は後に「誰でも高速なCPUを設計することはできる。問題はシステムを高速化することだ」と述べている。 6600 は最初の商用スーパーコンピュータであり、当時のどんなマシンよりも大幅に性能が優れていた。高価ではあったが、当時はスーパーコンピュータの市場には他に誰も参入していなかったのである。IBMが同等性能のマシンを開発しようとしたとき、クレイは 5倍の性能の CDC 7600 をリリースすることによってハードルをさらに高くした。
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