コロヌスの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:50 UTC 版)
そこで2世紀頃になると、古代ローマの大土地所有者である大富豪(大半は貴族階級)たちは最早機能しなくなった従来のラティフンディウム制に代わる新たな制度を用いるようになり、ラフレンティウムに代わって事となる。その働き手であった小作人の呼称が「コロヌス」であり、この語は小作人の事を意味し、没落農民などを雇い、労働させると言う制度だった。 また、領主労働が義務付けられ属州の制度コロヌスは貴族の旧ラティフンディウム農園で働き、コロナ―トゥス制における農業生産性の土台と成るようになった。以前のラティフンディウム奴隷との異なる点は、コロヌス達が「自由農民」としての色合いも帯びていたことであり、奴隷のように労働力を総どりはされなかった点にあった。 ヒスパニア、ガリア等今までローマ帝国による増税を恐れて、「ヴィッラ」と呼ばれる居城も地方領主らによるそれと同時に、属州の有力者たち(領主、大富豪など)はコロヌスの労働から利益を得、力を蓄えたのだった。裕福なローマの地主は、奴隷にされた没落農民などを意欲と言う意味でも上回るコロヌス達を働き手とする事を好むようになり、代わって従来の奴隷制はすたれてゆく。 ディオクレティアヌス帝に始まる後期ローマ帝国の体制は農業構造にも大きな変化をもたらした。新しい税制ユガティオ‐カピタティオの導入を契機として、所領に登録されたコロヌスを法的に土地に縛りつけるコロナートゥスが成立し、都市の衰退と反比例して大所領は経済的自立性を高めた
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