コレクターとしてのバーンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 14:22 UTC 版)
「バーンズ・コレクション」の記事における「コレクターとしてのバーンズ」の解説
バーンズは、フィラデルフィア郊外のケンジントンで生まれた。最初にペンシルベニア大学で医学を学んだ後、1896年から1900年にかけてドイツのベルリン大学などで生理学や薬学の勉強・研究を続けた。そして銀軟膏「アルジロル」などにより、製薬業で財を成すに至る。 ハイ・スクール時代から、後にニューヨークを中心に活躍するアメリカの新世代の画家の一員となるジョン・スローン、ウィリアム・グラッケンズの2人の友人とともに絵を描いていたことから、絵を描くことへの関心はあった。友人のグラッケンズは、バーンズの作品購入に関する助言者でもあり、1912年にはバーンズの依頼を受けて本格的なコレクションの始まりとなる20点ほどの作品をパリで購入している。バーンズ本人も頻繁にパリで作品を購入し、1915年頃のバーンズのコレクションには、ピエール=オーギュスト・ルノワール50点、ポール・セザンヌ15点が存在していた。 第一次世界大戦で作品収集は中断するが、バーンズは1921年にパリで作品収集を再開する。バーンズのコレクションにおける1920年代のキーパーソンは、新進の若手画商のポール・ギヨーム (1891年 - 1934年) であった。詩人で美術評論家のアポリネールと懇意であったギョームは、1914年に画廊をオープンし、パブロ・ピカソやアンリ・マティスをはじめとする多くの画家の作品を先見の明をもって扱っていた。画廊が発行する小冊子にバーンズのコレクションの記事を載せるなど画商と顧客を超えた密接な関係となり、ギョームは1922年の財団設立時に財団の役員となった。
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