コレクターの初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 22:58 UTC 版)
オーマル公アンリ・ドルレアンは、新しい妻マリー=カロリーヌ・ド・ブルボン=シシルのために整えたシャンティイ城のプティ・シャトーの中の居室を飾るため、1844年より作品の購入を始めた。 初期の購入作品は、いくつかの18世紀の肖像画で、ラルジリエールとジョゼフ=ジフラン・デュプレシによるものを含む。だがオマール公が本当にコレクターとしての道を歩み始めたのは1848年、亡命への出立以降であった。1852年に、ルイ=ナポレオンはオマール公とオルレアン家に対し、 接収下にある財産の売却を求めた。これにより、オマール公は、かなりの資金を即座に使えるようになった。1850年から、彼は父親の死を機会に売りに出されたコレクションの取得を開始し、テオドール・ジェリコーによる《厩舎を出る馬》を買い上げた。 1852年、ロンドンの邸宅であるトゥイッケナムに居を定めると、彼は幾人かの助言者の助力を得つつ、コレクション形成に集中するようになった。 彼が選んだ作品群は二つの方向性を示している。つまり、彼自身の高名な祖先たちに関連するか、彼らが所蔵していた諸作品、それからもう一つの方向としては、彼自身を亡命に追い込んだフランスの威信ある歴史の記録である。
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